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「野鳥のお話」 [狩猟・動物]


(07年4月16日の唐戸渓谷。木々、歌い始める季節です)
 
 田歌での今年の初ツバメは3月末。昨年は4月7日とメモしてある。
農業の開始の合図とされる彼らの飛来。そんな所でも気候の変化を感じる事が出来るのだけど、それはさておき・・・。

 彼らは南の国フィリピンやラオスの方から「避暑のため?」に日本へやってきて、秋ごろには「避寒のため?」に南へと戻っていく。つまり彼らは熱い所も寒い所も嫌いな連中ということになる。で、熱帯を出てさわやかな日本にやってきたらさっそく巣作りを初めてせっせと子育てに励むのだ。

 我が家には新築のその年から「1つがいのカップル」がやってきた。今年はどうも「3カップル」に増えているようだ。日本では縁起が良いとされて、可愛くもあるので、いちいち糞受けの台まで作ってやって見守っている。そうして巣立ちをした後はあまり近くで見かけなくなる彼らだが、また南へ旅たつ直前になると少し逞しくなった姿を見せて何故か再び我が家周辺にやってくる。当然家主の俺に別れの挨拶をしている訳では無いだろう。ひょっとしたら庭木や電線に群がって、「来年またここへ来るんだよ」と親子で場所の確認をしているのかも知れない。それを「ツバメがお別れの挨拶しに来たよ」なんて子供たちに嘘をついてみたりして、私を含めた日本人たちは勝手にロマンチックに感じている。
 
 だが、南の島では事情が違うらしい。
日本で巣立った子供たちが全員無事で翌年我が家に嫁さん連れて帰ってきたら大変なことになるのだが、どうもそうならない理由にも人間が絡んでいるようだ。
 「南の国の住人たちはツバメを食うらしい・・・。」
すっかり人間は安心だと思って帰った子ツバメ達はうっかり南の住人たちにも気安く近寄るようで、そっちではツバメはコオロギやバッタ同様に大切な「タンパク源の一品目」と扱われている。きっと日本人がスズメを食うようなものだろう・・・・・・・・・・。
 
 
 さて気を取り直して・・・、サシバというタカの仲間(猛禽類)も3・4日前から姿を見せ始めた。彼らもまた日本では「夏鳥」(夏の間観られる鳥)とよばれ南のほうからやってくる「暑がりで寒がりの鳥」のようだ。「ピッックイ~~~」とトビの声より細く高い声で鳴き、良く聞こえるので姿を見つけるより先に鳴き声で気がつく事が出来る。で、空を見上げてみるとちょうどカラスくらいの大きさで羽をバタバタさせて飛んでいる姿を見つけることが出来、遠く旅をする鳥のわりにはあまり上手な飛び方に見えないのが面白い。

 タカの仲間にはトビ(通称トンビ)またオオタカなどのように留鳥といってずっと同じエリアで生活するものもいる。オオタカはふかふかな毛に覆われているので確かに日本の冬でも暖かそうだ。トビははるかに飛ぶのが上手いように見える(グライダー飛行が得意)ので、どこにでも旅に出てくれたらいいのだが、彼らは特に日本人が大好きなようで、トラクターの後を掘り起こされたミミズやカエルをあてにしてついて回ったり、生ゴミの捨て場や狩猟獣の残骸などを上手く見つけては、四季を通じて人間との共存を図っている。

 そういえば冬の間には「ミサゴ」という海に多い白いからだが美しい大型のタカが芦生の集落周辺に出没し、さすがに目立つその勇姿に野鳥好きでない人たちも騒いでいた。私たちは勝手に「ミサ子」と名づけて観察していたが、もう芦生を離れもとの海へ戻ったようだ。たまには川の魚を食べたくて来ていたのかもしれないが、日本語ではこういっためずらしいパターンで飛来した野鳥のことを「迷鳥」と呼ぶらしい。

「別に迷ってへんで。」
と、ミサ子は言いたいかもしれない。


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「気候について」 [環境]


(昨年の豪雪でつぶれた山小屋の前にて。今年はご覧の通り。3月中旬のガイドでの昼食中)
 やはりこの冬の気候について文章にしておきたいと思う。
2月末にエルニーニョだかなんだかが終息したということが影響してか、ここに来て本来の寒さが戻ってきた。
というか、今朝にかけても新たに10センチほどの積雪があり、例年より寒い3月中旬になっているようだ。

 明日は春分。
もう太陽はかなり高くなってきたのに、こうやって寒い時がある反面、2月末から3月のかかりには、Tシャツで日中働いて汗かいていた日もあった。ホント、変な気候だ。近頃の夏のことを考えてみても、残暑とか言って秋分の頃に30度を越したりする。

 日本の気候は、太陽の長短以上に、気象が流れる道筋や、速度を作り出すヒマラヤ山脈などの巨大な山脈、また大気の温度や湿度に多大に影響を与える日本の周りを囲む海などの地理的条件に左右されて出来ている。ただそれが一定のパターンを保つ中で、私たちは暦の中に「立春」あるいは「啓蟄」のように正確な気象の移ろいを解りやすい言葉に置き換えて、農業、漁業、食品加工などあらゆる営みのタイミングの基準にし、上手く気候の変化を利用しながら生活をしてきた。

 なのにだ。最近は予測の大本になる暦が当てにならないほど、この気象のパターンが崩壊している。
そして、この危機的な「気象の崩壊」についてもっと人々は危機感を感じれないものだろうかと思うのだけど、相変らずおバカなほとんどのTVの天気予報では「歓迎すべき寒い日の到来」を「悲観的に」報道している。本来ならば笑顔で「明日はようやく冬らしい厳しい寒さの到来です。冬は冬らしく寒い日が来ないとダメですね!!」とか、それこそ悲観的に「明日もあまりにも暖かい日が続きますが心配ですね」ぐらい言ってほしいものだ。そんなアナウンサーがいてこそ、少しずつでも一般の人に危機感が広がっていくというものだ。

 草木の「狂い咲き」で、野菜を植えるタイミングを計り損ねたり、野鳥の「狂い鳴き(さえずり)」ですっかり気分も春になり、うっかりノーマルタイヤに履き替えて、いまさらの雪で出掛けられずに休日に家に閉じこもっている人がいたり・・・・。そんなことを身近に感知することが出来る私たちの生活は本当に「マシな生活」だと思う。ほとんどの日常が「暑い寒い」だけでしか気象の変化に対して用事の無い人ばかりなのだから。

「うちの庭で3月初旬に咲き始めた梅にはいまさらの寒波で虫が来ないので、あまり実をつけないだろうな。」
「こぶしのつぼみがもう膨らんでいるけど、今年の野菜の種まきの時期が読めないな」

「雪解け水はほとんど無いから、今年の田んぼの引水には苦労しそうだな」
「それこそ我が家の水源の湧き水が枯れるなんてことはないだろうか」

「ミソサザイやホオジロ(野鳥)はもうさえずっているな。こいつらの求婚時期は狂っても大丈夫なんだろうか?」
「鹿は雪が無くて冬に餓死するやつもほとんどいないし、また増えるんだろうな。困ったもんだ。」

僕はそんな感じで日本の気候と付き合っています。


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「愛犬レオに捧ぐ」 [田舎生活]


(2003年のレオ。田歌に来る前の春 田歌の我が家の建築中のかたわらにて)

 今年の1月3日に大切な犬「レオ」が死んだ。
僕が美山に移住した年の12月に生まれ、それから12年間、ハングリーな独身時代から結婚して子供が出来て、田歌舎が出来て、という僕の人生でおそらく最大の激動の時期を、その苦楽を共にしてきた犬だ。

 こよなく「狩り」を愛し、「僕とその周りの人たち」を愛してくれた犬だった。

 一緒に行った遠方の山も数知れず。
あるときは初めての山中にて獣を追っていなくなり、車の側で帰りを心配しながら待った事も多かったけど、でも、必ずレオは戻ってきた。泊りがけの雪山にもよく行ったものだ。日帰りの時は猟欲に走り、いなくなることも多いレオだったけど、泊まりがけの時は何故か雰囲気を察知してついて来たものだ。山中の非難小屋やテントの中で過ごした夜も本当にいい思い出だ。沢登りもよく一緒に行ったよな。

 猟師を始めたのもレオがいたからこそだった。
初めてレオが猪を押さえた時、僕の狩猟本能に火がついたのを覚えている。
それから鉄砲を持つことになるまでの数年間は何十頭もレオと僕の素手やナイフで獣を倒したものだ。お互いに若かったよね。

 会話が出来る犬だった。
多くの言葉を理解し、人間の心を読み、状況を判断し、的確に行動することが出来る犬だった。
でも犬らしく当然「わがまま」もあり、もちろん欲求も多いから、「ワン!」ぐらいしか言えないくせに声色を上手に操って色々なメッセージを伝えてきたよな。言葉は解ってるけど、言う事を聞きたくない時の「聞こえないフリ」や「悲しそうな顔」や「訴える顔」などの表情もまるで人間のように解りやすかったよな。でも話せば解り、納得もし、またいつまでも新しい事を学ぶ事が出来る犬だった。
そして、共に仕事(狩猟)をしている時の真剣な、本気な顔。また獣を倒した後の達成感の表情。家路についた後の満足感のある穏やかな顔。そして寝顔。ほんとうに色々な表情、心情を持った犬だった。僕のほうの喜怒哀楽も上手く察知して付き合ってくれたよな。

 子供にも優しい犬だった。
嫁が乳母車を片隅において畑仕事をしていた時、レオは泣いている子供を心配して様子を見に行って、青大将が近づいているのを発見し退治したことがあった。それからだったのか子供が泣いているとなんとなく様子を確認に来るレオの姿を良く見かけたものだ。
よその子供たちがやって来て、かまいに来ても、きっと「面倒くさいガキ」も多かっただろうけど本当に寛大に振舞っていた。

 レオと共に過ごした何件もの家。
すき間だらけの4畳ほどの「物置小屋」。まだ子犬だったレオと豪雪の一冬を越したよな。
北側の屋根がずり落ちた「茅葺の廃屋」。土間とかろうじて雨を凌げる南側の2部屋使って1年過ごした。僕が一番ハングリーだった時期だよな。
 次の住処が見つからなくて、やっと知り合いの「プレハブの家」に間借りさせて貰った1年半。道路際の狭い所に繋がれたレオにとっては一番つまらない環境だったかな。その頃初めて生んだ子供の世話も大変やったやろな。
 そうしてようやく「初めて自分自身で建てた小屋」に移り、またレオも広々とした環境で過ごしたよな。この頃からの4年間くらいがレオにとっての最盛期だったかな。そして僕にとっても「無邪気な若さ」のある最盛期だったようにも思う。ほんとにこの頃にあった「獣との格闘話」に尽きる事は無いね。

 そして、僕は結婚をし、子供が出来、この小屋が小さくなり、そして今の場所を見つけ家を建てる。その過程のほとんどをレオは僕のそばで見ていた。ようやく夢叶い、田歌に出来た「我が家」。その田歌に来た年にレオは内臓を患った。必死に家を建てていた時、この時のレオの異変にもう少し早く気づく事が出来たら今も健在だったかもしれないと思うと今も悔やまれる。それから何とか元気を取り戻したものの、次に「乳癌」と言う爆弾を抱えながら余生を過ごす事になってしまった。このころから茶目っ気が薄れ、穏やかで賢い老犬になっていったよな。

 それでも、田歌に来てからも4年という時間をようやく得たすばらしい住環境で共に過ごし、またすばらしい自然環境のなかで、死ぬ間際まで獣を追い続けた「レオ」。

 最期の時。大量の放血をし、息絶え絶えの状況になってそれでも頑張るレオを見ながら、僕は別れの時がきたと感じた。意識が遠のきそうな表情のレオに手をかざし頭を丁寧に撫でた。
「もういいよ。ご苦労さんやったな。いままでありがとうな。」
「レオ。お休みや。もうおやすみ・・・・。」
家族が皆揃い見守る中、ぼくの最後の言葉をかけ終わると同時に、苦しむのを止め、穏やかな表情に戻り、そして永遠の眠りについた。僕の手のなかで、犬としても少し短かい12年の生涯を終えた。

 最期の最期まで賢すぎた犬だった。
ますます明晰な頭脳を持ちながら、死の時を迎えたレオ。
「もっと生きたかっただろうな。もっと獣を追いたかっただろうな。」
「まだまだ死にたくなかったよな・・・・。」

 死後1ヶ月と少しが経った。
レオのいない日が、日常になった。今後、まだまだ多くの犬たちと過ごす事になるだろう。でもこれ以上の信頼関係を犬と結び、濃厚な時を共に過ごす事はきっと出来ないだろう。僕の人生に大きな影響を与えた、かけがえの無い犬だった。

「レオさん。俺のところに来てくれて、一緒に過ごしてくれて本当にありがとう。」

 
この文章はレオを忘れないために、そして自分自身のために・・・・、そして「レオに捧ぐ」。
   


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「狩猟の季節」 [狩猟・動物]


(昨シーズンのワンシーン)

 ようやく雪の季節だ。そう、狩猟の季節だ。
週末の冬の森のガイド以外には、毎日のように山へ獣を追っていく。
そして獲れた獣の解体も日々続く仕事。
今は余ることなく売れている獣肉だが、シーズンも半ばを過ぎると余ってくる。
それらの獣肉はどんどんと猟友会や、田歌舎の冷凍庫にストックされていく。
狩猟は決して稼ぎの良い仕事ではない。
売れなければ当然1銭にもならない。
獲れた肉を無駄にせず。品質の良いものも悪いものも、それ相応の使い道があって、何とかお金に換えていく。

 取引先との信頼関係。
例えばフランス料理を僕はよく知らないが、どのような部位をどのように使うのか、血抜き、真空などの保存方法など、出来る限りシェフたちが望む品質や取り扱いを聞き出しながら、猟師だからこそ知りえる季節によって変わる品質、やオス、メスの違い、個体差についてなど、きっとシェフにも知り得ないだろうより詳細な肉質についての情報を伝える。また、自然が相手である以上、可能な事、不可能な事などを正直に伝えながら、お互いに量、品質、価格共より希望に近い取引が出来るように努めてきた。
それは既に猟師の仕事を超えているようでもあるが、本当に獣肉のことを知り尽くし、和食、洋食またはアジア料理など様々な可能性を探り、それに見合う獣肉を選び、期待を裏切らない販売が出来るのは猟師だけなのだから、今の時代は獲るだけが猟師ではないと思っている。また、そうでないとただの趣味でしか成り立たない。

 言い出したことはやり遂げる。
僕の所属する知井猟友会は現在約10名。狩猟者としては僕が最年少で、最年長は73歳になる。
年配の親父たちはかつて剥製や熊の胆などが高価に取引され、猪や鹿肉もはるかに高価格で取引された「引く手あまた」の良い時代を経験している。それが今や、獲るだけでは全く成り立たない経済状況の中、僕たちの新しい取り組みに理解を示し、若手の奮闘を見守ってくれている。ただし、猟師の世界。どこかの「ヤ」のつく世界と似たような気質のある世界。
結果がついてこなければ成らない世界。

まあ、やり遂げればいいだけのことだ。


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「日本的パーマカルチャー?」 [田舎生活]


(イノシシ解体中の一コマ)

 この1ヶ月の仕事を振り返ってみると・・・・。
鹿・猪の解体・出荷、鶏の解体・出荷、ドッグフード作り・営業・販売、と、肉に追われ続けながら、
合間を縫って我が家の増改築や、外注の日本家屋の床板の張替え、そして週末には山(狩猟)へ。
とにかくうちのスタッフ4名と共にしながらも休日返上の忙しさが続いた。

 鹿については、狩猟で獲れるもののほかに檻などで獲れた物も、猟友会のメンバーが持ち込んでくる。もはや田歌舎は解体業者状態になってしまった。鶏の注文も増えてきたせいで、ほぼ毎日のように何かしら肉が捌かれている。
 研修生たちも今では立派にスタッフとして機能しており、今では全員が鶏を捌き、鹿を解体する。
持て余しがちな鹿肉を徹底的に使う事が出来るのは田歌舎ならではのライフスタイルだ。


(古い日本家屋の床の張替え。研修生たちが奮闘中)

 今週は同じ集落の日本家屋の床の張替えをした。工務店「田歌舎」としては外注の仕事は基本的に閉業しているが、近所付き合いの中で草刈や雪かき、雪囲いなどを手伝って上げるような感覚で今回は引き受けた。だけど古い建物は狂いも多く、2日程度の仕事かと思っていたら、たっぷり1週間かかってしまった。僕自身が忙しくて段取り程度行っては研修生達に任していたのだけど、研修生達は大いに苦しみながら頑張っていたようで、ようやく昨日僕が仕上げにかかって終了した。
 
 大工に手間取っているうちに、鹿や鶏の注文は絶え間なくやって来るし、さらに裏山の杉の伐採も始まり、この2週間近くスタッフ全員に息つく暇も無かったかもしれない。田歌舎にはめずらしい残業もやったよな。当然、日の暮れからは「酔拳」だけど。


(なめこ採りの一コマ、3年前のほだ木からはようやくたくさんのキノコが収穫できる)

 それでも夕暮れには薪ストーブで暖を取りながら鹿や猪を突っつきながら「チクッ」と皆でやる時間に癒される。近所の人から大工として当てにしてくれたり、解体屋として当てにしてくれて猟師仲間から獣が集まって来る。それによって僕らの仕事として成立する仕組みは、実は日本の古典的な生活のあり方に近いのではないかとも思える節もあるし、人があってこその田舎暮らしという実感も感じながら、実のところは多少振り回されつつも「いい生活やな」という心地がする。

 また週末には「藤原どうや~~~~!」と実猟にお呼びがかかり、忙しい合間を縫って山に上がっては「パーーーーン」とやって鹿を引っ張ってくる。そうしている間にスタッフ達は野菜や木や肉と格闘している。

 そうして忙しい近頃の夕方には床の張替えから生まれた釘だらけの廃材が無駄になることは無く、休憩室をあっためながら私たちを癒してくれる。こういうのはあるいは日本的なパーマカルチャーとは言えないだろうか。


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「森林を守る人」 [田舎生活]


(裏山の伐採作業中の中野良美さん)

 先週から田歌舎の裏山の杉の植林の伐採が始まった。
様々な活動の拠点になる広場を作り、周囲に果樹を植え、将来にかけて宿泊コテージを建てていく場所になる。
田歌舎の空間がまた広くなるのはとても楽しみだ。

 我が家周辺の杉を自分たちで伐採し、そして造成、基礎工事、建築を全て自分たちの手でやって今の「田歌舎」があるのだけど、今回の伐採は数年来の良い付き合いをさせてもらっている地元の林業家「中野良美さん」に伐採をお願いし、その補助作業を田歌舎のメンバーでする形で進めることにした。さすがに本職の作業はすばやく段取り良く進んでいる。しっかり見て盗んで次の伐採はまた自分達の手やろうと思っている。
 
 作業の後、例のごとく一杯やりながら、いろいろと話しをした。
先代から続く林業家のなかで、子供の頃から芦生の森を見つめて育った良美さんは荒れていく山林の現状と、その中で自分が出来る仕事を見つめる中、現代には稀なほど自然や環境、また教育に至るまで熱い思いを持っている人だ。そんな理由からも自然学校のプログラムにも協力を惜しまずにしてくれている。

 今の良美さんの本職はもちろん森林労働ではあるが、5年ほど前より関西電力の作業員として送電線の障害になる森林の伐採作業をしている。彼の技術が評価されて、安定収入を得るために、家族のためにもついたその仕事は関西電力の計画に基づいて行われ、山主との補償問題も大きく絡む中、おもに尾根づたいの美しい自然林の皆伐になることも多く、仕事とは言えその必要性を感じない場所、守りたいと思えるような木々においても伐採せざる得ない現在の仕事には正直なとことジレンマがあり、誇りを持てないということも聞くことが出来た。
 
 彼は本来植林の保全育成のための仕事を目指していた。植林といえばネガティブなイメージを持つ自然志向の方も多いだろうが、強烈な木材輸入国の日本が国土に於いて必要な木材を生産することは至極当然の事であり、植林であっても、理想的な手入れが行き届いた林には十分に他の生物にとっても生活できる場所にもなりうる。ただ戦後の行政の造林計画の見当違いと失敗が重なり、山主たちも手に負えなくなった植林放置が、現在の惨状を作っている訳で、その植林の保全活動は雑木の森を復活させる事と同様に、自然環境のためにも大切な仕事である。

 美山町の中でも、代を受け継いで現場での森林作業を営む若手はごくわずかで、多くはIターンの労働者に入替わってしまった。彼の持つ労働技術とスピードは町内ではもう1人の彼の相棒と並んでNO.1、NO.2と評される。そんな優れた労働者ですら自分の理想とする形でその仕事に従事できない現状はとても残念な事だ。ただ、その優れた森林労働者が清い目で山を見、自然を見、危機感を感じていることは、もし時代が良い方向に向き始めたときには偉大な戦力になるのだろうと思える。

 植林も自然林も同じく悲鳴を上げていること、食料に飢えて里へ降りてくる熊や、温暖化と共に増える鹿の食害、表土、土砂流失による渓谷の環境の悪化。山林の仕事師は猟師たち同様に誰よりも肌身に感じる事が出来る。ただ、生活を守るため、経済活動とのジレンマのなかで、多くの人たちが寡黙に与えられた仕事をこなしている。そして国の行政にはその声は届かない。
 
 ミサイルを作るための膨大な予算は近未来の日本の、地球の環境を守るために使われる事は無いのだろうか。心ある仕事師がまだ頑張っている内に、まだ間に合ううちに彼らの実力を発揮できる時代が訪れて欲しいものだ。


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「東北旅行」 [田舎生活]


(いよいよ薪ストーブの季節、薪は杉の間伐材で十分)
 先日とある会の集会があって芦生自然学校のスタッフ総出で東北に行ってきた。
「山、またぎ、雪」のイメージで美山以上にさぞ険しい山並みが続いているのだろうと想像していたが、
実際には秋田、宮城、岩手、山形ともなんとも広々と平野、田畑が続き、周囲の山並みといへば樹海、高原といったなだらかな地形で、美山のような山間地は遠くに見える山並みの中へ入り込まない限りありえないような状況で、全く想像を裏切られてしまった。

 秋田の温泉宿、岩手県の安比高原、宮城県のくりこま高原で宿泊をしたが、広大な美しい原野に点在するホテルや温泉宿は雄大であったり情緒を感じたりもしたが、逆にうら寂しさを感じる気もした。
「なるほど、東北の寂しげなイメージというのは狭い山間、海辺の集落のイメージではなくて逆に広すぎる中にポツリと在るところから来ているのか。」と勝手に納得したりもした。秋だからまだ美しさの勝る部分もあるが、この景色が全面雪に包まれたらそりゃ~「おら東京さ行くだ」の世界だわね。
でも普段空の狭い谷あいの山村で暮らす僕らにとって、この広い東北の景色はまさに非日常で空の広い田舎の風景には、感じていないようでやはり感じているのか、山村の閉塞感から開放されて癒されるものがある。何よりもくりこま高原で見た星空の美しさは想像を絶していた。ふと、ほろ酔いで見上げた快晴の星空にはどうも雲がかかったように見えるものがあり、もしやと思ってメガネをかけてみるとやっぱり「天の川」。美山の星空もなかなかのものだと思っていたが、さすがにこれには到底及ばない。2分ほど見上げているうちに流れ星が3つ4つ流れた。流れ星も光の弱いうちから見えるせいか、願い事を考える余裕があるほど滞空時間が長い。(これは少し大げさかな)でも美山で見えるやつは瞬時に山並みに消えるので、「あ!!」以上のことは言う事も考える事も出来ないのだから、3秒もあれば結構な時間やで。

 「さすが東北!」のうれしかった事といえば、スーパー仕入れる地元食材(海鮮もの)がとにかく安く、素泊まり、自炊ででガッツリ海の幸をいただいた事。そして毎日温泉に入った事。そう美山では手に入れることの出来ないこの喜びを期待通りに味わう事が出来たのは何よりだった。
ズワイガニ3匹3600円、ホタテ(小)一盛り350円、バイ貝一盛り350円、マグロ鎌500円、ヒラメ1匹2100円、イクラも安かったぞ・・・・・・・。

 そうして非日常の4日間を「研修旅行」と題し、十分に満喫して再び谷あいの山村の日常へ帰ってきた。

 あくる朝、田歌舎からの快晴の朝の景色はすばらしく、山と谷と空の融合した潤いのあるものだった。
「いやいや、この景色もなかなかのもんじゃ~ないか。」
留守中の畑の様子を確認する事からまた日常の1日がスタートした。


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「秋の野の収穫」 [田舎生活]


(昨年の天然マイタケ) 
 収穫の秋がやってきた。
お米や、野菜はともかくとして、山の幸の収穫は、山村の生活のなかではとても楽しい瞬間だ。
 9月の中ごろには「みょうが採り」があります。
みょうがには夏に出る夏みょうがと、この頃に出る秋みょうがとがあるのだけど、野生のものは全てこの頃に出てくる。
我が家では酢漬けにしたものを、和食材としてお寿司や、さしみのツマとして使ったり、また洋食材のピクルスとして様々な形で食卓、
またはお店の食材として登場するので、とても重宝してしている。
この秋には小一時間で30キロの米袋に半分ほども収穫した。1年中この時期に収穫したものでまかなっている。

 今年は「栃の実拾い」にも行ってきた。
今年は初めてもち米を作ったので、是非「栃餅作り」に挑戦しようと思い、行ってきた。
今年は実が生り年ではなかったようで、収穫は苦戦したが、まあチャレンジするには十分量だろう。
砂糖醤油をちょいとつけて食べるのが美味い。
ところで、このときにはついでに犬と鉄砲を連れて行ったところ、「アナグマ」が取れてしまった。
初めての獲物なので、いかがなものかと思ったが、よい脂が乗っており、焼き風の鍋にして食ったところ、
癖も臭みも無くなかなかすばらしい肉質だった。
狙って獲る獣ではないので、ありがたい副産物だった。
 
 さてさて・・・、次には「マイタケ採り」が待っている。
9月下旬ごろから早いものは出てくるのだけど、10月中の間はチャンスがある。
今年は1度誘われた時に行けなかったので、去年見つけたポイントもあるので近々行かなくてはと思っている。一応、頂き物ではあるが今年の天然物には当たる事が出来た。「マイタケ」は折角見つけても、まだ若くて小さかったり、又、大きくても「ヒネ」てしまって(古くなって)虫だらけでどうにもならなかったり、ただでさえ見つけるのが難しいのに、出る時期も一定ではないのでなかなか厄介な代物ではある。ただ、旬(食い頃)のものを見つけた日にゃ~、そりゃ嬉しいわけだ。ちなみに、傘の色が薄茶色のものから真っ黒のものまでの個体差があるのだけど、真っ黒の奴が味が濃厚でスーパーの売り物とは比べ物にならない味わいがある。
 
 で、お次は「マッタケ」(マツタケ)だ。
これについては美味いに決まっているのだけど、この地域の松山は時期初めに全て競売で高値で競り落とされるので、うっかり「他人様の山」に入ると大変な事になってしまう。ここいらでは「鮎」の事は「コイン」と例え、「マッタケ」は「小判」と例える。
川でコインを拾うくらいならまだ許されるが、小判を拝借してくるわけには行かない。そんな事で、「山持ち」の方に誘ってもらって良い思いを出来る事が1度有るか無いか。
そんな所だが、数年前に幼児の腕ほどもあるマッタケを数本拾った時のことは忘れられない。
ちなみに御味は、中国産やスーパーの安物と一緒にしてはいけない。
 
 まあ、まだいろいろあるけど最後に庶民的な物をお一つ紹介。
山芋の実の「むかご拾い」だ。
むかごも我が家では「むかごご飯」として和食で楽しむ事のほかに、商品のパンの材料としても重宝している。
くるみやナッツを混ぜるように、むかごを混ぜて焼いたパンにはほんのりと香りと甘みがつき、生地のしっとり感も増す。なかなか絶品である。まあ、当然作るのは嫁の方なので、難しい事は俺にはわからないが、嫁さんの腕が良いからきっとそうなるのだろう。
むかごはどの地方にも日当たりの良い藪を探せば、簡単に見つかるし、ちょっとした小道具を用意すれば、高い所の実もとることが出来る。収穫はこれからだけど、簡単にたくさん採れるのでなかなか楽しい瞬間だ。バターでさっと炒めて酒のあてにしたり、かき揚げとして天ぷらで食べるのも美味い。

 秋の野山はトレッキングなどでも予期せぬ出会い、発見(当然食い物の事)も多く何かと楽しい。時間のゆとりも出来てきたことだし又、何かと繰り出したいものだ。


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「ガイドはささやかな啓蒙活動である」 [アウトドア]


(美山川アドベンチャーツアーでの一コマ)
 ようやく田歌舎のツアーにもたくさんのお客様が来てくれるようになり、この夏は忙しい日々を送ることが出来た。
本当にありがたいことだし、ようやく経営の見通しが立ってきて嬉しい限りである。

 アウトドアのガイドは、まず何よりも非日常を楽しみに来る参加者達に十二分に楽しんでもらう事に尽きる。
「その前提を達成した上であとどれくらいの「何か」を持って帰ってもらうことが出来るのか」
それが、僕の考える永遠のテーマであり、それはきっと尽きる事の無い課題でもあり、だからこそ人生をかけてこの仕事に取り組む事が出来る。
そのフィールドが出来る限り人の手が加わらない自然であり、また使われる道具が動力などを使わないよりシンプルなものであるならば、それだけでまず人の手の加わらない自然自体が持つ楽しさを知ってもらうことが出来る。
そしてその先にその大切さを感じてもらう事がきっと出来るだろう。
そうして、一つ目の扉を開けることが出来る人たちには、人の営みによって起こっている温暖化や酸性雨、またそれに伴う気候の変動といったことが、実はたった今楽しんでいるフィールドにも大いに影響を与えていて、かつてのすばらしさを失いつつあるんだよ、という事を伝える事が出来るかもしれない。
そうして2つ目の扉を開けることが出来たなら、自分達の住む場所も、周辺に大きな影響を与えている場所でもあり、また、周辺からは生命を支える水や空気といった自然からの恩恵や、あるときは中国大陸からやってくる増え続ける黄砂のように、嬉しくない影響も与えられていて、その悪い方の影響は恐ろしい勢いで増し続けている事に気付いてもらえるかもしれない。

 山村で日々自然と向き合って暮らしていると、旧暦に細かく時節があるように季節は2週間単位、いや1週間単位でみても確実に推移している事が感じられる。農業をしているとなおさらだ。その小刻みな気候のサイクルの中で種まきや、定植などの適期を見定めようとしているのだから。そうして私たちは今、その小刻みなサイクルはいまや本来のパターンを失っている事に気付く。ドン臭い「人間」という種が気付くぐらいだから、自然な中の木々たちが、その狂いに戸惑い、本来の力強さを失ってきていて、現実にはナラ枯れ病を筆頭に多くの樹種で絶滅が危惧されるレベルの病死が蔓延しており、もしその勢いが続くならば20年先の森の惨状は想像をはるかに超えるのかもしれない。そうした急激な自然の変動は、渇水、洪水、食糧難などといった形で山村だけではなくそのときの都会を襲ってくる事だろう。

 自然と向き合って生活していると気づく事が出来るたくさんの自然からの「SOS信号」はこのサイズの文章で書きつくすことが出来る量ではとても無い。都会の中ではそういった自然からのサインをほとんど受ける事が出来ない。それはとてつもなく異常な事ではあるが、仮に僕がいまだ都会暮らしをしていたならば、たまに自然に遊びに出かけていたとしても、きっとほとんどのサインに気づく事は出来ないだろう。それほど都会という空間とそこに住む人々は、自然とかけ離れてしまっている。本当に危機感を感じる。もしガイドという仕事を通じて少しずつ一歩先の扉を共に開けることが出来て、同じ思いと少しながらのそのための努力を共にすることができたならば・・・・、
 
ガイド冥利に尽きる。


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「たぬきめ!!」 [田舎生活]


(手前がたぬき犬のガブ。ほとんど役に立たないただ飯食いの犬)
先日、子供たちが楽しみにしていたトウモロコシがたぬきに20本近く荒されてしまった。
ちょうどその日の夕方には子供にせがまれるのを静止して、明日とろうといっていた所だったのに。

道向こうの畑はそういうこともあろうかと既に電柵を張って防御しているのだけど、
家の前の畑でやられるとは思わず油断していた。

この辺りの畑で柵をせずに作っているのは我が家くらいで、日常はいつもレオ(犬)を晩は放しているので、まず獣が寄り付くことはない。
特に最近では、他の2匹の若犬(テコとガブ)が、ちょっとした気配にも反応して吠えるので、奥に引っ込んで寝息を掻いているレオも、それに反応しすばやく対処してくれていた。

なのになぜ??・・・・・か、といえば、今、家の犬どもは疥癬という皮膚病(目に見えない小さなダニが引き起こす)にかかっていて、あまり行動しないようにつないでいたからだ。
まず家の畑は大丈夫だと安心しきっていたので、晩に若犬どもが騒いでいたけど、トウモロコシに連想することなく、俺の方もすっかり寝入ってしまった。
嫁は犬の声だけでなくたぬきらしき「ギャウギャウ」という声を耳にしたにもかかわらずやはりトウモロコシに連想することなく心地よい眠りについたらしい。

ん!?

はたと気付けば、元はといえば犬の疥癬がなければこんな事にはならないのだが、
その疥癬自体もたぬきが持っている病気。
近頃犬たちもたまに山に放してやると、大物(鹿や猪)を相手にするのは面倒らしく、
小物を相手にしてストレスの発散に努めているらしく、
で、たぬきを相手にして要らん病気をもらってきたようだ。

これの治療は注射を2週間に一回ずつ、3回やると完治するのだが、
薬代も決して安くはない。

しかもすぐに3匹共にうつるので、症状の出ていないガブにもしなければならない。
「くそ!どっちにしてもたぬきのせいやんけ!!たぬきのせいで要らん金までかかッとるやんけ!!!」
家のたぬき犬(ガブ)にも手に焼いているところだったのに、ホンマのたぬきにしてやられるとは・・・・・。

むかついて、食べ散らしのトウモロコシをおとりにトラバサミ仕掛けてやったが、翌晩に来てえさだけとっていきやがった。

「へいへい・・・。」


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