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田歌の祇園祭 [田舎生活]


(私は‘奴’(下等武士の役)として登場!!小脇に抱えられているのはうちの娘)
毎年、7月の14日に田歌のお祭りの祇園祭(八坂神社)があります。
天狗を筆頭にやっこ、ひょっとこ、爺、などの化粧、お面をして集落を行列。
そして、集落内にある八坂さんの舞台に上がり、太鼓の舞いを「スサノオノミコト」をはじめとする神様へ奉納するというお祭り。
神様は女性だということで、行列の中は全て男であり、女の神様を喜ばして田歌を今後ともよろしくってな趣向。
そんな訳でか行列の中には女装をしたお多福(はまり役の人がやる)や、いち物をさらけ出した(勿論作り物)爺などもいます。
「悪人面」の私はこの濃い顔の上に更に濃い化粧をして「やっこ」(上の写真)として登場しました。
ちょっとスケベ~な趣もあって面白い田舎らしいお祭りです。
今年は終わったけど400年以上も続いているお祭りですから、来年も再来年もやります。
お近くにお住まいの方は一度は必見のお祭りです。


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我が家の夏の風物詩(うなぎのおっさん、再び) [田舎生活]


(水生昆虫の観察だったのに、ゴリ捕りに夢中の図 7月23日)
 我が家の長男はいよいよ小学生らしくなって、クワガタとカブトムシに夢中の幸せな日々を送っている。
そして我が家のご主人様(私)は、「昨年の感動を再びこの手で」と鰻捕りに夢中、となりたいところだが、
なかなかそうは行かない日々を送っている。
というのも今年は消防団の操法大会(運動会みたいなもの、2年に1回)があって、
6月は週に3日も晩に練習があって、ようやく先々週に大会が終わったところ。
そして今週14日には田歌の祇園祭があって、今は毎晩太鼓の練習に励む日々。
そして、それら練習の後に必ず待っているのが「一杯飲み」。
それが田舎というものであろう。
というわけで忙しい合間に気合を振り絞って3回は仕掛けをしてみたが、今のところ空振りに終わっている。
まあ、祇園さんが終わったらようやく晩のお勤めはなくなるので、そこからが勝負やね。


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「わ・た・しの成長」 [雑感・日常]


(自然学校の田植えのイベントにて、子供たちと研修生たち)
たぶん、こんな内容は文章としてあまり公開するべき事でも無いんだろうなと思う、が、
今月の文章を考えるに当たって、他にフレッシュな楽しく書けそうな事が浮かばないのと、
こういうことを書いてしまうのもある意味「僕らしい」かなとも思い書く事にしよう。

 昨年秋頃から、K君をアルバイトとして雇いだし、そのまま研修生として迎え入れ、
春から更に3名が研修生として加わり4名の研修生(スタッフ)体制になった。
当然、彼らは田舎暮らしに於いて多くのことを知らず、田歌舎の仕事を進めるに当たっても
とにかくあらゆることを教えることから始まる。
(10年前の自分もまさに何にも知らないボンボンの青年だった。そう自分はボンボンだと気付いた時から成長が始ったように思う)

場合によっては叱る事も多く、また、色々な器具、道具を壊したりして損失を出してしまうことも多い。
(僕自身も叱られるのが得意なタイプだったし、色々他人の物を壊して覚えてきたなあ~と思い出される。
そんな事を思うと大事な軽トラを谷に落とされるわ、サイドブレーキ引きっぱなしでベアリングいかれるわ、
野郎は怪我をしなかっただけでも良しとせねばならんのか~~!、と、そのような厳しいジレンマ(経済状況)も感じながら)

でも、その半面1人で事を進める事を考えてみると出来る事はとても多く、色んなところで戦力にもなり、
以前よりも速いスピードで物事が進みつつある。
(やっぱり人がいるだけで励みにもなるし、何だかんだ言っても下働きから多くのことを学んでもらうのだが、
それらを自分でしなくて良くなって楽になった部分はデカイ)

彼らもおおよそ2ヶ月以上がたって、田歌舎という仕事場のあり方、また、そこでの自分のあり方、
さらには僕という「曲者」との付き合い方や、周囲の「難しいおっさん達」との付き合い方も見えてきた所だろう。
客観的には出だしの頃には不安の多い表情を見せていた彼らも、最近では充実感を持って過ごしているように見えていて、
その点では僕としても彼らとしても一壁越える事が出来た様でほっとしている。
(いきなり宿舎内で不和な関係が発生したりして、バカヤローこんなわずかな期間で他人のことうだうだ言ってる様なやつに
独立して田舎暮らしだとか優秀なガイドに成りたいだとか・・・、出来るかボケ!!!、と思ったものだが、
どうもその点でも一壁越えてくれたみたいだ。・・・まだわからんけど)

 さて僕の方はといえば、大きく日常のあり方が変わってきた。
まずは自分が体を動かす事以上に、彼らを動かすために頭を動かす時間が非常に重要となり、
肉体労働時間が非常に少ない今日この頃である。
(考えすぎで頭痛がしてきて、4年もやめてたタバコがすっかり始ってしもたやんけ)

それでも、彼ら同様、僕の方も彼らがいること自体に慣れてきて、自分のすべき事の焦点がようやくまとまりつつあり、
またその中で、出来るだけ体を使う仕事も多く出来るように日常を作っていけるようになってきた。

小さいながらも社長業をかじりつつある俺の頭脳は、確かに昨年と比較しても随分と成長している事が感じられる。
そう思うとまた先にも次のステップがあり、それを繰り返してもっと良くも悪くもなるわけだ。
(悪くなるのは俺の健康状況と夫婦の関係の事)

そう、悪くならないようにはもっともっと「わ・た・し」が成長せねばならないわけで・・・・・・。

とりあえず「暴飲暴食」を控える事にした。
あと、「暴言」を控えなあかんよな・・・。


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[風が強い田歌にて」 [田舎生活]


(とある日の田歌の前にて、) 
「江和の暗がり、田歌の貧乏風」という言葉が、地元の格言かのようによく言われる。
江和・田歌は隣同士の集落なのだけど、お互いにお隣の劣る一面を言って、自分の所の劣る部分の気休めにしているようであり、また、ほどほどに罵り合う形で、結局の所、「お互いさまやね」と折り合いをつけているような、そんな、深~~い意味のあるような無いような言葉である。

実際には、江和には外灯がいつまでも設置されず、屋内の明かりもほとんど漏れる事が無く、という時期があったそうだが、今では「暗がり」の要素は見当たらない。
田歌のほうはといえば、いくら時代が進んでも「風」がやむ事は無い。
「貧乏風」かどうかは知らんが、特にこの春は風が強い。

山間部ではどうしても地形によって、風当たりのきつい場所とそうでない場所ができる。
田歌の風は特にひどく、台風並の風が、ちょっとした前線の通過時には吹き荒れる。

今、ちょうど夏野菜の植え付けの時期なのだが、植え付け直後の大風には苗が折られる事もしばしば。
立派に育ったキュウリが、多い茂った支柱や網ごと根こそぎ3mほど吹き飛ばされてしまったり、他にもズッキーニ、トマト、ゴーヤなどがやられた事がある。
田歌でトウモロコシを作るのは至難の業かもしれない。
トマトの屋根(ビニール)は大風の前には直ちに収納しないと、確実に消失してしまう。

他には、4m以上もある重量40キロ近いオープンデッキの船が10m以上飛ばされて、危うく道路に転落しそうになっていた事もある。
他人事では集落内のある家屋のトタンが消えていたり、あるいは倒れたり、犬小屋が犬ごと飛んだなんていう笑い話も聞くことがある。

そう、そういったちょっとした辛い事も、悲しい事もお互いに笑い飛ばすのが一番。
やっぱり美山も「関西人」。
嫌な事は笑いのネタに。
上の格言?もそんな気持ちがあって生まれた言葉のような気がする。


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「異文化交流のすすめ!?」 [田舎生活]

       
  (ゲンタのスタジオと作業風景)            (熱いグラスに装飾の粒をつける)
      
  (その拡大)                             (うちの少年少女も見学。背後には新聞を読みふける私)

我が家の年中行事として、この数年来毎年3月ごろに吹きガラスの作家でもあり、家族ぐるみの親友でもある鈴木玄太宅へはるばる富山、福光町へと家族旅行をかねて訪問しているのだが、今年は2月、3月となかなか時間がとれず、今月に入ってから研修生達をほったらかして半ば強行気味に行く事になった。

 彼のところでは、日常から離れることと、家族でゆっくりと時間を過ごす事ができる。そしてなにより彼と仕事の分野が全く違うところがよい。同業者同士だとどうしても仕事の話が尽きず、本当のリラックスを得る事が出来ない。ただ、約8年前にアメリカの悪口を言い合って以来意気投合した私たちは、大きな観点での世界観、価値観は常にシンクロしている。だからこそ、合掌造りの集落へ観光に行ったり、海の幸を食いに能登半島へ車を走らせたり、ボウリングに興じたり、会う度に趣向の違う行動をとることを共に楽しみ、そしていつもと変わらず大酒を飲み、温泉に入り、そして彼の分野である吹きグラスに触れて異文化交流をすることが出来る。さらには傍若無人な旦那を持つ嫁さん同士として通じるところが多いのか、嫁さんたちも楽しみにしていてくれていて、何故か子供達も玄太ファミリーがお気に入りで・・・・。

 喧嘩ばかりしているとうっかり忘れそうになるが、僕と嫁との間で共通している部分の価値観というものが元々あって(たぶん)、その部分が彼ら夫婦とも共通している事が、良い付き合いを支えてくれるのだろうと思う。

そうして、日々崩れそうになる夫婦間の一体感を取り戻すために重要な時間になっている。

今回は玄太の親父さんで漆の作家として有名な鈴木睦美さんと、
京都市内でギャラリーを経営されていて、特に江戸グラスの著名なコレクターであるタザワさん。
また毎年美山町で開催される「能楽の夕べ」で楽しませていただいている著名な能楽家の青木先生と居合わせて、さらに心地よい時間を送る事が出来た。

「グラス作家」、「漆芸家」、「能楽家」、「ギャラリー経営者」、と「田舎暮らし」。
全く違う世界のようであるが、大きな共通した価値観の上に見出すものがあって、
一見違う世界のことが意外とヒントになって自分達の世界に持って帰れるものがあるものだ。

「異文化交流」。
知らぬ間に閉じこもりがちな自分の「井」から出ること。
たまには「大海」に出てみて自分達の「井」を眺めてみると、
日々悶々と苦闘している「井の中の壁」に意外な抜け道が見えたりもする。
そんな「大海」に導いてくれる「友」は非常に少ない。
かけがえの無い存在であると思う。


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「春を迎えて」 [雑感・日常]


(今年の猟期もようやく終了!!有害獣駆除での成果の一こま)

雪国の暮らしの中では特に1年の始まりは春にあるような気がする。
地面が雪に覆われている冬の間は、雪が解けてからすることに思いを馳せながら、
さまざまな道具の手入れをしたり、わら細工のような内職をしたり・・・。
という昔ながらのスタイルもあれば、
僕のように狩猟、ガイドの合間を見ては来春に向けてのホームページの更新や、
パンフレット作りというような現代版??の冬の過ごし方もある。
でも春からの仕事の為の準備をするということでは今も昔も変わらない感覚かなと思う。

地面が現れてきてようやく仕事が始まる。
「さあ、何から始めよう。」
そんな感覚になるものだ。

そうして私たちの田歌舎はいま居る研修生に加えて、あと2名の研修生が決まりました。
彼らの力を借りながら宿泊棟(ティピー)とゲストハウスをそれぞれ一棟は建てようと思う。
農園も拡充して、レストランの食材、家族と研修生の食材はおよそ自給できるだろう。
さらに田んぼも白米、黒米、もち米と約4反でまかなっていけそうだ。

長い狩猟生活もようやく終え、ほっとすると同時にまたまた忙しい1年の始まりを感じる。
とくにスタッフを数名抱えて迎える初めての一年に、期待と同時に強く責任感を感じるけど、
躍進の年になるような予感を持ちながら、前向きに頑張ろうじゃないか。

「よ~~し!!」


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「豊かな森と獣害と獣肉」 [狩猟・動物]

 
(雄鹿を仕留める私と、犬のレオ、そしてゲストのホールアース自然学校のスタッフ達)
 
 一昨年の「熊騒動」は、まだきっと記憶に残る事だと思われます。
どんぐりに代表される森の実りが、たび重なる台風の直撃を受け大凶作になりました。
と、この騒ぎに対する大きな原因は周知の事だと思われますが、じわじわと迫り来る温暖化と酸性雨、さらには急激に発達する中国からの黄砂などと共に到来する多くの有害物質が、本州の全ての木々を、又草花を蝕み、確実に森の豊かさを奪っていることを意識している人は非常に少ないのではないでしょうか。
 
 一昨年の熊騒ぎのあったシーズンに於いては、熊だけでなくイノシシ、鹿などの植物が主食の獣たちは、軒並み痩せていました。獲れるほとんどのイノシシには脂肪がほとんどのってなくて、牡丹鍋用に出荷できるものはごくわずかでした。また鹿は初冬より肉質が悪く、春が近づく頃、水を求めて、またわずかな食料を求めて人里に下り、人目のつくところで体力が尽き、立つことも出来なくなり、座り込んだまま死んでいく姿を多くの人が目撃しました。
その年の夏から秋、畑を荒らすサル、鹿、また田んぼを荒らすイノシシの被害が続出したことも忘れてはなりません。  
 
 そうして昨年の春、森の木々は10数年来記憶に無いほどありとあらゆる花が咲き乱れました。
美山町をフィールドに活躍するネイチャーガイドの全ての方が、興奮しながらその様子を語り合う姿は記憶に新しいところです。
本来植物が持つ、種を残す為の力として、凶作、またダメージを受けた次の年は豊作になる事は良く知られている事実ですが、ほとんど全ての植物が、一昨年にダメージを受け、昨年「頑張った」証なのだろうと思われます。そして秋、多くの実りをつけた豊かな森の中では冬前になっても尾根や谷のいたるところに、まだ食べ切られていない木の実たちが、地面を覆っていました。
そうして初冬には脂肪をたっぷりとのせたイノシシが獲れ、2月になってもまだ筋肉を隆々とさせ、
かつて無いほど肉質もすばらしい鹿たちが雪山を闊歩しています。
また、昨夏から、秋にかけて、人里、農作物への獣害の報告はほとんどありませんでした。

 昔を回顧して地元のお年寄りの方がよく言われます。
「昔は畑に柵などせんでも(しなくても)獣が荒らすことは無かった。」
(多くのお年寄りから直接聞いている言葉)
あるお婆さんは、「子供の頃に鹿なんか見たことも無かった。」
(同じ集落のお婆から直接聞いた言葉)
悪名高いサルも畑に表れことは稀で、カラスでさえ野菜を取りに来る事は無かったらしい・・・・・・。
この事は、すなわち森が豊かであったことを示しているのではないでしょうか。

 地球上稀に見るほどの豊かな自然環境、気候条件を持つ日本の現在の森は見た目には緑をたたえています。
でも、南限に位置する落葉広葉樹林(どんぐりに代表されるブナ科の植物など)はすでに、西日本全域に広がるナラ枯れ病、ブナの立ち枯れなどのように、明らかに衰退しています。それこそが一昨年の熊騒ぎの根本的原因ではありますが、さらには今健全であるように見える常緑樹など緑をたたえる木々たちが、すでにどれほど蝕まれており、いつ病状をあらわにする事でしょう。

 最近の10年来、森林面積が特段に減少しているわけでもないのに明らかに人里への獣害が増えているという事実は、豊かであった森の木々の生産性が衰退している事の証明でもあります。
「生きてはいるけれど、弱ってきている。」という事です。

 地元の森の中をくまなく歩く私達猟師は、森の恵み、林床の植物の衰退、表土の乾き、また実りの良し悪しに左右される獣肉の質、そういった身近な自然の変化を肌身で感じる事の出来る数少ない人間です。ただ残念な事は、それをデータにしたり、数字にしたり・・・、今の人間の社会、日本の行政に訴え、動かすだけの理屈、理論をでっち上げる事が出来ないという事です。
ただ、肌身で感じているだけなのだから・・・・。
 
 いま、私たちの感じている事。
「森が豊かだと獣の質も良く、また人里への獣害も少ない事。」
「それは農家も安心して作物を育て、猟師もありがたく恵みを頂き、山村で暮らす皆にとってありがたいこと。」
「またそれは、熊をはじめ多くの生物が絶えることなく暮らせる大前提である事。」
「ただ、このような豊かな年はめったに無く、ひょっとしたら二度と無いかも知れないと思うこと。」
・・・・・・・・・。

「森の衰退の過程のなかでの植物達の必死の抵抗(がんばり)ではなかろうか。」

より多くの人たちに、植物の為に、動物の為に、そして私たちの為に、さらに子孫の為に、一番大切なものに気付いて欲しいと思う。

田歌舎のホームページ http://www.tautasya.com


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私、イノシシに襲われまして・・・。 [狩猟・動物]

(計りにかけたイノシシ。内臓を抜いて26貫、約104キロを計測。)
(軽トラへ乗せた直後の私と猪)

 猟師生活最大の危機でした。
1月末の事。前日に見つけたイノシシの足跡を自ら勢子として追跡し、尾根で遭遇。
さらに追跡して谷に追い下ろしたところまでは良かったのですが、
自分自身が谷へ降り立った瞬間、イノシシは方向転換し、自分へと向かってきました。
20mもない所から3発発砲しましたが、最後倒れた場所は自分の目の前、2mありませんでした。
倒れた猪は重量約110キロの雄 強力な牙付き。命中した弾は1発のみ、心臓を貫いていました。
1発もあたらなかったら自分が死んでいたかもしれません。
また、あたった1発が致命傷でなければ、きっと今頃は病院の中でしょう。
猟師という仕事の怖さと、油断というものの怖さを重大に感じる事が出来た一幕でした。
イノシシを追っている過程で、イノシシより低い位置に降り立つ事の危険。
追い詰められたイノシシは人間に向かってくるという事。
それを忘れわざわざ谷に降り立ったひとつの失敗。
それで命を落とす事があることを、まさに肌身で感じる経験。
その日の前日には和歌山の方で猟師が1人、猪に突かれて死亡していた。
俺は「生きる運命」があったようだ。


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「年末年始」 [田舎生活]


(写真:正月ボケする前のエテコ2匹) 
 鹿で終わり、鶏で始まった僕と、クッキー詰めで終わり、オードブルで始まった嫁。
ますます田歌舎らしい新年の幕開けである。
 今朝、正月ボケした子供たちを保育園に送り出したところであるが、ストーブの前からはなれずもたもたしている子供の姿を見ると、ふたたび日常生活がはじまったな~と感じる。
僕は今日このメルマガを発行し、あとは増え続ける冬の「オモチャ」(商売道具とも言う)の置き場所などを整頓しなければと思う。
ゆっくりした(仕事を休んだ)のは元旦と2日にかけてだけだったが、仕事始めの3、4日は子供を実家に預けていたので、おかげさまで「穏やか~」に過ごす事が出来た。
で、今日は特に決まった仕事も入っていないので、メルマガをして、片づけをして、吊りっぱなしの鹿の足の骨抜きでもして、まあ、もう一日穏やかに過ごせればいいかな。
 また明日からは猟師生活のスタートだ。


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「健全な男子と薪割り」 [田舎生活]


(杉の間伐材を製材する研修生K君と外国製の‘ヨキ’)
 ようやく最近になって斧を購入した。
 ここらでは薪割り用の斧のことをヨキ(割りヨキ)と言うのだけど、薪ストーブにあこがれる多く田舎暮らし愛好者だけのものではなく、普通の田舎の家にはきっと1本以上ある田舎暮らし必須アイテムだと思われる。
それなのに我が家には何故か斧がずーーっと無かったのだ。

 薪ストーブにしても付けようとは思ってはいるものの、納得いく場所が決まらずにいて、この冬に向けても結局場所が決まらずじまいになってしまっている。ただ作業場に設置しているストーブでは以前から大工作業の端材や杉の間伐材などを焼いて暖をとっており、いちおう薪ストーブの心地よさも知ってはいるのだが。

 そんなこんなで斧については今まではなんとなく手斧で対応できていたので買わずじまいにいたのだが、いよいよ太い木も薪にする必要もでてきたし、ようやくのこと購入したのだ。
日本製の旧来のものと外国製の頭のでっかい重たいやつと、一長一短があるのだけど外国製のやつを買ってみた。
12,000円なり!!(結構高いねんな。これも何となく買ってなかった理由)

 で、ようやく我が家の薪割りライフがスタートしたのだけど、
ひさびさの感覚を新鮮に感じながら、(そう、かつては雇われ先でよくやってたのだ)
それで改めて言うのもなんですが、
「え~~~~~~ねっ!薪割り!!」。

 何が良いって、頭使わんでええこと。
このくそ寒い季節やけど、とりあえず薪割ってたら体が温もる。
そんで、やっぱり「うりゃ!」とか「おりゃ!」とかいって「殴る蹴る的な行為」は本来男子が持ち合わしている本能にとっても
心地の良いものがあるのだろう。きっと。
パソコンの相手をする事も多い今日この頃だと気分転換にも非常に良い。

そして家の周りに積まれた材木の整頓、裏山の間伐を進めながら、ちょっと天気が悪くなったり、気分が乗らなかったりすると、薪割りに逃避をする。薪割してたらちょっとは仕事している気にもなるので、気分の乗りにくい12月にはもってこいの作業だ。

そう、ちょうど今いる研修生の男子も、仕事の合間を見ては薪割りに興じている。

田歌舎のHP http://www.tautasya.com


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