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「愛犬レオに捧ぐ」 [田舎生活]


(2003年のレオ。田歌に来る前の春 田歌の我が家の建築中のかたわらにて)

 今年の1月3日に大切な犬「レオ」が死んだ。
僕が美山に移住した年の12月に生まれ、それから12年間、ハングリーな独身時代から結婚して子供が出来て、田歌舎が出来て、という僕の人生でおそらく最大の激動の時期を、その苦楽を共にしてきた犬だ。

 こよなく「狩り」を愛し、「僕とその周りの人たち」を愛してくれた犬だった。

 一緒に行った遠方の山も数知れず。
あるときは初めての山中にて獣を追っていなくなり、車の側で帰りを心配しながら待った事も多かったけど、でも、必ずレオは戻ってきた。泊りがけの雪山にもよく行ったものだ。日帰りの時は猟欲に走り、いなくなることも多いレオだったけど、泊まりがけの時は何故か雰囲気を察知してついて来たものだ。山中の非難小屋やテントの中で過ごした夜も本当にいい思い出だ。沢登りもよく一緒に行ったよな。

 猟師を始めたのもレオがいたからこそだった。
初めてレオが猪を押さえた時、僕の狩猟本能に火がついたのを覚えている。
それから鉄砲を持つことになるまでの数年間は何十頭もレオと僕の素手やナイフで獣を倒したものだ。お互いに若かったよね。

 会話が出来る犬だった。
多くの言葉を理解し、人間の心を読み、状況を判断し、的確に行動することが出来る犬だった。
でも犬らしく当然「わがまま」もあり、もちろん欲求も多いから、「ワン!」ぐらいしか言えないくせに声色を上手に操って色々なメッセージを伝えてきたよな。言葉は解ってるけど、言う事を聞きたくない時の「聞こえないフリ」や「悲しそうな顔」や「訴える顔」などの表情もまるで人間のように解りやすかったよな。でも話せば解り、納得もし、またいつまでも新しい事を学ぶ事が出来る犬だった。
そして、共に仕事(狩猟)をしている時の真剣な、本気な顔。また獣を倒した後の達成感の表情。家路についた後の満足感のある穏やかな顔。そして寝顔。ほんとうに色々な表情、心情を持った犬だった。僕のほうの喜怒哀楽も上手く察知して付き合ってくれたよな。

 子供にも優しい犬だった。
嫁が乳母車を片隅において畑仕事をしていた時、レオは泣いている子供を心配して様子を見に行って、青大将が近づいているのを発見し退治したことがあった。それからだったのか子供が泣いているとなんとなく様子を確認に来るレオの姿を良く見かけたものだ。
よその子供たちがやって来て、かまいに来ても、きっと「面倒くさいガキ」も多かっただろうけど本当に寛大に振舞っていた。

 レオと共に過ごした何件もの家。
すき間だらけの4畳ほどの「物置小屋」。まだ子犬だったレオと豪雪の一冬を越したよな。
北側の屋根がずり落ちた「茅葺の廃屋」。土間とかろうじて雨を凌げる南側の2部屋使って1年過ごした。僕が一番ハングリーだった時期だよな。
 次の住処が見つからなくて、やっと知り合いの「プレハブの家」に間借りさせて貰った1年半。道路際の狭い所に繋がれたレオにとっては一番つまらない環境だったかな。その頃初めて生んだ子供の世話も大変やったやろな。
 そうしてようやく「初めて自分自身で建てた小屋」に移り、またレオも広々とした環境で過ごしたよな。この頃からの4年間くらいがレオにとっての最盛期だったかな。そして僕にとっても「無邪気な若さ」のある最盛期だったようにも思う。ほんとにこの頃にあった「獣との格闘話」に尽きる事は無いね。

 そして、僕は結婚をし、子供が出来、この小屋が小さくなり、そして今の場所を見つけ家を建てる。その過程のほとんどをレオは僕のそばで見ていた。ようやく夢叶い、田歌に出来た「我が家」。その田歌に来た年にレオは内臓を患った。必死に家を建てていた時、この時のレオの異変にもう少し早く気づく事が出来たら今も健在だったかもしれないと思うと今も悔やまれる。それから何とか元気を取り戻したものの、次に「乳癌」と言う爆弾を抱えながら余生を過ごす事になってしまった。このころから茶目っ気が薄れ、穏やかで賢い老犬になっていったよな。

 それでも、田歌に来てからも4年という時間をようやく得たすばらしい住環境で共に過ごし、またすばらしい自然環境のなかで、死ぬ間際まで獣を追い続けた「レオ」。

 最期の時。大量の放血をし、息絶え絶えの状況になってそれでも頑張るレオを見ながら、僕は別れの時がきたと感じた。意識が遠のきそうな表情のレオに手をかざし頭を丁寧に撫でた。
「もういいよ。ご苦労さんやったな。いままでありがとうな。」
「レオ。お休みや。もうおやすみ・・・・。」
家族が皆揃い見守る中、ぼくの最後の言葉をかけ終わると同時に、苦しむのを止め、穏やかな表情に戻り、そして永遠の眠りについた。僕の手のなかで、犬としても少し短かい12年の生涯を終えた。

 最期の最期まで賢すぎた犬だった。
ますます明晰な頭脳を持ちながら、死の時を迎えたレオ。
「もっと生きたかっただろうな。もっと獣を追いたかっただろうな。」
「まだまだ死にたくなかったよな・・・・。」

 死後1ヶ月と少しが経った。
レオのいない日が、日常になった。今後、まだまだ多くの犬たちと過ごす事になるだろう。でもこれ以上の信頼関係を犬と結び、濃厚な時を共に過ごす事はきっと出来ないだろう。僕の人生に大きな影響を与えた、かけがえの無い犬だった。

「レオさん。俺のところに来てくれて、一緒に過ごしてくれて本当にありがとう。」

 
この文章はレオを忘れないために、そして自分自身のために・・・・、そして「レオに捧ぐ」。
   


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