SSブログ

「気候について」 [環境]


(昨年の豪雪でつぶれた山小屋の前にて。今年はご覧の通り。3月中旬のガイドでの昼食中)
 やはりこの冬の気候について文章にしておきたいと思う。
2月末にエルニーニョだかなんだかが終息したということが影響してか、ここに来て本来の寒さが戻ってきた。
というか、今朝にかけても新たに10センチほどの積雪があり、例年より寒い3月中旬になっているようだ。

 明日は春分。
もう太陽はかなり高くなってきたのに、こうやって寒い時がある反面、2月末から3月のかかりには、Tシャツで日中働いて汗かいていた日もあった。ホント、変な気候だ。近頃の夏のことを考えてみても、残暑とか言って秋分の頃に30度を越したりする。

 日本の気候は、太陽の長短以上に、気象が流れる道筋や、速度を作り出すヒマラヤ山脈などの巨大な山脈、また大気の温度や湿度に多大に影響を与える日本の周りを囲む海などの地理的条件に左右されて出来ている。ただそれが一定のパターンを保つ中で、私たちは暦の中に「立春」あるいは「啓蟄」のように正確な気象の移ろいを解りやすい言葉に置き換えて、農業、漁業、食品加工などあらゆる営みのタイミングの基準にし、上手く気候の変化を利用しながら生活をしてきた。

 なのにだ。最近は予測の大本になる暦が当てにならないほど、この気象のパターンが崩壊している。
そして、この危機的な「気象の崩壊」についてもっと人々は危機感を感じれないものだろうかと思うのだけど、相変らずおバカなほとんどのTVの天気予報では「歓迎すべき寒い日の到来」を「悲観的に」報道している。本来ならば笑顔で「明日はようやく冬らしい厳しい寒さの到来です。冬は冬らしく寒い日が来ないとダメですね!!」とか、それこそ悲観的に「明日もあまりにも暖かい日が続きますが心配ですね」ぐらい言ってほしいものだ。そんなアナウンサーがいてこそ、少しずつでも一般の人に危機感が広がっていくというものだ。

 草木の「狂い咲き」で、野菜を植えるタイミングを計り損ねたり、野鳥の「狂い鳴き(さえずり)」ですっかり気分も春になり、うっかりノーマルタイヤに履き替えて、いまさらの雪で出掛けられずに休日に家に閉じこもっている人がいたり・・・・。そんなことを身近に感知することが出来る私たちの生活は本当に「マシな生活」だと思う。ほとんどの日常が「暑い寒い」だけでしか気象の変化に対して用事の無い人ばかりなのだから。

「うちの庭で3月初旬に咲き始めた梅にはいまさらの寒波で虫が来ないので、あまり実をつけないだろうな。」
「こぶしのつぼみがもう膨らんでいるけど、今年の野菜の種まきの時期が読めないな」

「雪解け水はほとんど無いから、今年の田んぼの引水には苦労しそうだな」
「それこそ我が家の水源の湧き水が枯れるなんてことはないだろうか」

「ミソサザイやホオジロ(野鳥)はもうさえずっているな。こいつらの求婚時期は狂っても大丈夫なんだろうか?」
「鹿は雪が無くて冬に餓死するやつもほとんどいないし、また増えるんだろうな。困ったもんだ。」

僕はそんな感じで日本の気候と付き合っています。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

「愛犬レオに捧ぐ」「野鳥のお話」 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。