「イノシシが帰ってきた」 [狩猟・動物]
(知井猟友会の初シシ君。でもこいつを獲ったとき、僕は隣の山で別のシシ追いをしていたので、自分で獲った達成感は味わえず・・・・。約80キロ:20貫目 口を広げると「おことぬし」みたいやな。)
田歌舎=鹿。そんなイメージが定着しているような気がするけど、猟=鹿。とい
う訳では決して無いのです・・・。
僕が狩猟をはじめたのは10数年前。飼っている犬があるときイノシシを捕らえ
てしまったことがきっかけとなり僕の猟師人生がスタートしたのだが、その頃美山
の森は鹿の劇的な増加が進行中であり、その後、数年後に狩猟免許を取得し、さら
に鉄砲を所持するまでには、犬は次から次へとイノシシではなく鹿を捕らえていっ
た。今から思えば当時は溢れんばかりに鹿がいた。冬、一人でスキーを履いて犬と
ともに森へ入ると次々と鹿に遭遇した。そして犬は鹿を追い、上手く追い詰めた時
にはナイフ一本で自ら留めを刺しに入ったものだ。
当時、それだけ鹿がいることが普通のことなのかと思っていたが、まあ、結局の
ところ異常だったわけだ。ただその当時はイノシシもちゃんとそれなりにいて、や
はり時には森の中でご対面する小ぶりな奴を犬と共にやっつけては、ありがたくご
馳走になる事もあった。
(真ん中が俺。いやいや、えらいおっさんになってきてしもた)
そうしてようやく7年前に鉄砲を所持し猟友会のメンバーの中で本物の猟師とし
て第一歩を歩みだした頃、当時はまだイノシシも獲れていたので、売れない鹿がと
っても粗末に扱われていた。そんな中でペーペー(新米猟師)の僕にはほとんど配
当金がもらえるわけではなかったので、無駄にしている鹿を何とかお金にしてやろ
うと思ってあの手この手、そうして今(田歌舎=鹿?)に至った訳だが・・・。
だけど、イノシシはやっぱりすごい。
何がすごいって、体全部が見事に美味しいのだ。
足から首まで全て美味しい。
鹿の場合はいろいろな工夫があってこそ全ての肉を美味しく食すことが出来るのだ
けど、イノシシの場合、塩・コショウさえあれば全ての肉が美味しく食べられてし
まう。実際大きなイノシシを解体していると、見事に全身に脂が乗り、美味そうな
肉の塊と化していくその姿を見て、なんとも可愛そうな、いやいや、ありがたい生
き物だと思ってしまう。
そんな訳だから全部の肉がそこそこの値段で売れるので、やっぱり鹿1頭と比
べれば、時には10倍近い値段の差ができてしまう。
だから僕もたまにはイノシシが獲りたい。そう思っているのだ。
なのにそのイノシシが3年前に僕らの猟場から姿を消してしまった。
捕獲0、目撃1。
猟師たちが獲りすぎたのだろうか?
いや、鹿の増えすぎによって安住の地を奪われた彼らは鹿の少ない地域へと移動し
たようだ。
「本当にそうなの?」
自問自答しなくもない。
今年その答えが返ってきた。
一時のピークが去り、美山町では5年前くらいから鹿が明らかな減少傾向だ。実感
では現在は一頃の3分の1以下にはなっているように思う。そして、その代わりに
京北や園部などの周辺の地域や京都市内近郊では鹿の目撃や被害が急増しているよ
うだ。
美山の増えすぎた鹿は自分たちの食料となる草木を食いつくし、毒草を食べる個
体すら出てきた。イノシシを追い出した後にはいよいよ自分たちも限界となって基
本的に行動範囲の狭い定住型の動物のはずの鹿も草木が生い茂る食料が豊かな周辺
地域の山々へと移動をしたということだ。
(田歌舎のかわいい猟犬たち。それぞれ一長一短ですわ。)
鹿が少なくなってきた美山の森では昨秋どんぐりが豊作だった。
一足先に出て行き見つけた安住の地にまた鹿が増えてきて嫌になったということ
なのだろうか。秋ごろより美山中で劇的にイノシシの痕跡が目に留まるようになっ
た。イノシシは元来広範囲の移動型の動物だ。ちゃんと自然の条件がそろえば帰っ
てくるのだ。
今年の美山は雪が少なく、シシ追い(足跡をたどり、シシの寝床を襲撃、追い出
しをする猟)をしても雪の少ない斜面で足跡を見失ってしまったりで、なかなか獲
らせてくれないイノシシ君。
「ぼちぼち獲らせてくれよ」
そんな風に思い、わくわく、どきどきしながら森へ入る。まあ、結果獲れても獲れ
なくても、(もちろんたまには獲りたいのだけど)そんな風に鹿やイノシシとこれ
からも末永く関わっていたいものだ。
壊れていく自然のバランスのなかでも鹿やイノシシはたくましく対応しながら生き
ている。なかなか修復が難しい自然の変化で絶えてしまう恐れのある動物が多い中、
たくましさ、生命力を感じられる彼らが日本の森にいてくれることは本当に嬉しい
ことだ。
ようやく年末年始に少しまとまった雪が降った。
さあ明日はシシ追いだ。
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