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「生き物らしく、人らしく暮らしたい」(プチ自叙伝) [コラム]

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(黒米の手刈り体験のあと、足踏み脱穀機を説明しているところ・・・、だったかな?)

就職活動は一切やらなかった。
 「自分がこの先少なくとも40年、心の底からやりがいを持って頑張れる仕事は何だ?」
大学3年生、二十の頃、このことをたびたび自問自答する中で、自ずと出てきた答えが、
「豊かな自然のある田舎での自給自足的な暮らし。」だった。もちろん金銭面の事も考えなかった訳ではないが、「自分で家を建てて、農業で飯が食えればそもそもそんなにお金を稼がなくたってやっていけるんじゃないか。」そんなふうに思った。
高校生の頃より環境問題、温暖化といったことに強く関心があり、自分自身も含めての都会の暮らしぶりに疑問を感じていた。そして当時蔓延していた「学歴社会や大企業への就職=安定」といった価値観に対する疑念が大きく、そんな中で大学在学中にはバブルの崩壊から大手銀行の破綻などの社会情勢が重なり、「そら見たことか!安定した職業などそもそもあるはずがないんだ。」「戦後わずか50年足らずの常識が、その先永遠の常識であるはずは無い。」という風に自分の想いが確信と変わってきたように思う。
「自分自身が豊かな自然の中で胸を張って生きていけるような暮らしをしたい。」
 そんな一途な想いは揺らぐことなく、大学を卒業するとひとまずアルバイトに励み、9月頃にようやく軽自動車を手に入れたその翌日にはテントや寝具そして釣竿を詰め込んで清流の町、美山町へと乗り込んだ。
以来19年、まさに水を得た魚。美山にやって来てから今に至るまで、新しい発見、喜び、そしてやり甲斐に溢れ、自分自身の生き様においては一切悩んだことはない。そして何より豊かな自然に生かされているということ実感する暮らしの中で、ますます今の都会の自然とかけ離れた暮らしぶり、有り様を懸念する気持ちが高まるばかりだ。
このままでは地球は持たない。美山に暮らしながら、自然の中で生きるということの大切さをどうようにして多くの人に向けて発信していけるのか、自分に出来ることの中でこの課題と向き合っていくことがそのまま僕自身の人生の課題となった。

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(直径140センチのナラの大木を伐採するところ。さすがにビビリながらやりましたが、なんとか成功。一年寝かして立派な板が取れました。)


私の子供時代はまさに高度成長期。カチャカチャとダイヤルを回すレトロなテレビがいつの間にかリモコンになり、テレビゲームが当たり前となっていった時代だ。私が育った大阪の枚方は新しいベットタウンとして開発され始めていた都市部の郊外に当たるが、当時には自宅の周辺には田畑や雑木林が多く残っていた。そのおかげもあって、小学生時代には雑木林へのクワガタ採りや、溜池での魚釣など、田舎育ちの子供たちと同様に自然にたくさん触れて育った。「三つ子の魂百まで」とは良く言ったもので、今の私の価値観の基礎はこの頃に形成されたのだと確信している。食べるものは体に悪そうな着色料やケミカルな味に溢れた時代だ。子供の頃から好き嫌いはほとんどなく、どちらかといえば野菜なども含めて健康的な食材、味を好んでいたと思うが、私の体はケミカルにどうやら弱く、アトピー性皮膚炎などのアレルギー症状があって、軽度ではあったものの大人になるまで悩まされ続けた。アレルギーの原因は食べ物にあるということをいつの頃からか意識するようになり、「食」についての強いこだわりはアレルギーを持っていたことによって育まれた。
美山で一人を暮らし始めてからマヨネーズやドレッシングのような化学調味料が添加されている食品を一切絶ち、素材の味を大切にできるように味覚改善をしようと思い、徹底的な薄味に切り替えた。それはストイックと言える程のレベルだったが、その甲斐もあって、皮膚炎、花粉症などのアレルギーは次第に改善され今ではほぼ無くなった。ちなみに自然の中で目のトレーニングもしていたら学生時代0.1しかなかった視力が1.0まで回復した。
さすがに30歳を過ぎて身も心も丸くなって来たせいか、20代の頃のようなストイックさは無くなっているが、当時に心掛けたことで、食に対する考えを確信とすることができたし、何より私たちの二人の子供たちに全くアレルギーが無いことは、当時からの信念に従ってやってきたからこそだと自負している。

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(昨猟期一番の獲物と私。この写真、ちょっと太りすぎてて・・・、猪でなく私が。身も心も丸くなってはダメだよね。ということで、春からの減量で5キロ痩せたもんね!)

「お金は要りません。寝床と飯だけで使ってもらえませんか。」
そう言って、セルフビルドでログハウス風の建物を建てていたIターンの方のところで居候先を見つけた。ここから僕の田舎暮らしが始まった。
居候先では隙間だらけの板張りの倉庫の中で、思いもよらなかったマイナス10度を下回ることもある美山の冬を越すことになったが、あまりその事が苦労だったように記憶はしていない。それ以上に初めての雪の中の暮らし、自然の中の暮らしの楽しさに心躍っていたように思う。そしてその冬に僕の暮らす倉庫の床下で生まれた一匹の犬との出会いが、僕を猟師という生き方に導いてくれる掛け替えのない財産となった。たった今はその犬の7匹の子孫たちが立派な猟犬として年間数百万円を生み出す田歌舎の狩猟の営みを支えてくれている。

居候の時期に地元の方との出会いを通して、美山で暮らしていける足がかりを持つことができた。春には北側の屋根がずり落ちて星が見える廃屋ではあったが、それでもなんとか一人住居できる家を貸してもらうことができた。そしてアルバイト先としてお世話になった家族経営の外田養鶏場では、養鶏の労働を通して僕の人生の根幹の部分が育まれた。体力的なことはもちろんのこと、養鶏にまつわる様々な作業には決して言葉で表現できない工夫、知恵に溢れていて、人が生きていく上で「本当に大切なものは何か」ということを、身をもって学ぶことができた。今の僕の「芯にあるもの」はここで育ったと思っている。そこではさらに1反の田んぼを貸してもらい、稲作、野菜作りを教わっただけでなく、郷土食、漬物作りなど様々な山村の生活の技術と知恵を教わった。若い未熟な僕を実の息子に接するように叱り、育ててくれた今は亡き養鶏場の親父さんお母さんには感謝してもしきれない。
農業はもちろんのこと、ニシン漬けなど美山独特のものも含めた保存食作りなんかもそんな20代の頃からずっと続けているが、それなりに積み上げた経験値は自負しているものの、ますます奥が深く、発見もあり、何より面白く、美味しく、嬉しくて・・・、
「食べ物を作ること」これは生涯飽きることはなさそうだ。

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(2012年2月中旬。八角形のログハウスを建築中。今はレストランとしてオープンしています!)

普段は一人きりで小さな仕事をしていて、大きな建物の発注が入ると仲間が集まって基礎から屋根までのほとんどの工程を少人数でやり遂げる。完成すると次の発注までは解散する。そんなスタイルで建築をされていた一人親方に出会った。この親方のもとで一軒の家を建てるための一部始終を教わることができた。在来工法の建物とログハウスの2軒の建築を通して、細かい技術は抜きにして「家を建てる」ということの全体を掴むことはできた。その後25歳の時には、山林の荒地を地元の方に借りて、そこに小屋のレベルではあるが、10坪ほどの自分自身の家を建てた。自身初の作品ではあるが、現在も田歌舎のスタッフがそこに暮らしてくれていて健在だ。
大工仕事に携わる期間、養鶏場のアルバイトに大きく穴を開けていたのだが、そんな僕のささやかな大工仕事にしっかり目をつけて、養鶏場のアルバイトに戻るや、日常業務の隙を見ては鶏舎の補修や何やかしらの大工仕事が僕の使命となった。いつの間にか養鶏場だけでなく集落の中で色んな補修仕事などを頼まれるようになり、あるときは元大工のお爺さんと一緒に仕事をしたり、左官を教えてくれるおじさんが現れたりと、色んな技術を持った田舎の親父達には最新の道具に頼らない昔ながらの様々な技術を叩き込まれた。そして当時の僕の大工仕事はほとんどが糞掃除、ゴミやガレキの整理整頓、廃屋の解体など大工の前にすべき仕事とセットになっていた。このことがますます僕の生きる力を育んだのは言うまでもない。たった今でも決して好きではないが、解体作業やそこから生まれる廃材利用などは得意分野だ。

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(大きな一本丸太で階段を作っているところ。宿泊棟のロフトへの階段です。)

アウトドアガイドという仕事の可能性を示してくれたのは、ハーブガーデンとショップを営みつつトレッキングや沢登りのネイチャーガイドをされていた浅野目さんだ。「自然を案内してお金を稼ぐ」という仕事を認識していなかった当時の僕にとって、まさに目からウロコだった。まもなくラフティングに出会い、以後30歳の頃までは夏の週末は徳島でラフティングガイド、平日、夏以外は美山で養鶏場や農業、大工といった暮らしことが続くことになり、週に一度も休日はなかったはずだが、やりがいがあって楽しくて充実した時間だった。ところで浅野目さんのところでハーブ料理を学び働いていた女性が後の僕の妻となるのだから、その出会いが大きかったことに疑いの余念はない。

26歳の時、結婚をした。経済的にはどうしようも無く貧乏だったが、「田舎での暮らしには家族が必要だ!」と強く感じていて、今から思えばその気持ちが暴走したのだろう。嫁さんの親はさぞ心配だったろうな。
先に示すような生活で、年間200万にも満たない稼ぎのなか、自分で建てた小さな城でまもなく長男が生まれ、まだまだ下手くそだった田畑で採れた食べ物以外には魚一匹買うのも躊躇われるような生活だった。
「子供が小学校に上がるまでが僕に与えられた猶予期間だ。」
そんな風に考えて、目先のお金儲けにとらわれず、今のまま色んな自分のスキルを上げていくことで道が開けると信じていた。
 30歳を前にして、ようやく「独立」を意識するようになった。トレッキングや沢登りなどのガイドにプラスして新たにラフティングを美山川で興すこと、自給的な暮らしと嫁さんの料理の技量に頼って小さなスローフードレストランを興す事。それらが合わさって個性的なお店が作れるのではないか。そんなビジョンが見えてきた。
 ちょうどその折、実兄が実家の相続をするということで数百万の財産分与を親から受けた。まさにそれを好機と捉え、思い切って今の田歌の土地を地元の人の縁を通じて手に入れた。実は土地代だけでほとんどのお金がなくなったのだけど・・・・、
「自由に使える土地さえ手に入れば、建物はなんとかなる。」
「借金さえしなければ、倒産もしない。」
古い鶏舎を解体した材でまずは広い作業場を建て、そして板倉づくりという経済的な工法で2階建ての自宅を建てた。
 その頃には僕を応援する気持ちもあってか、何軒か大きな建築仕事をいただけるなど、少しずつ稼げる金額が上がってきたことで、この時期の出費に耐えることができた。少し稼いだお金で、中古のラフティングボートを手に入れて一艇だけのラフティングカンパニーを興し、また少し溜まったお金で軒出しをして小さなレストランを始める。
 そうしてだんだんと田歌舎の骨格が出来上がってきた。

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(きょうとグリーンファンドとの連携で田歌舎に10kwのソーラー発電が設置されました!)

 その後、地域の有志で立ち上げたNPO法人芦生自然学校にも携わり、そこから全国のネットワークへと人脈を広げることができた。そうして若いスタッフを少しずつ集めて、団体としての田歌舎や自然学校の運営ができるようになってきた。今ようやく経済的には一つのステップを超えたように感じてはいるが、すべての営みにおいてまだまだ発展途上に有り、集まってくるスタッフたちの支えにもなりながら、ますます自然と絡み合う生き物としての人の暮らしを楽しみながら追求したいと思う。そして地球の環境のこと、原発事故などを通して感じる日本の行き詰まりに対して、今以上に私たちに出来ることを強く発信していきたいと思っている。

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大飯原発30キロ圏内の町に暮らす [環境]

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(たくさんの人が訪れる清流美山川と夏の電力、本当に大切なのはどちら!?)

豊かな自然に魅かれて美山町にやってきて早17年がたった。去年のあの日まで、こんなに近くに原発があるにもかかわらずそれほど危機感を募らせてはいなかった。というのが実のところ。もちろん反対の意思はあったのだけど・・・。

なんらかの自然エネルギーを取り入れて、食住+エネルギーの自給というのを以前より理想としていた。ただ経済的に段階を踏んで無理をせずに移行していければと思っていた。今までに自然学校のキャンプ場には水力発電の設置を呼び掛けて、500ワットの発電システムを設置したり、田歌舎にも6年ほど前に、ソーラー発電を取り入れようと、見積もりまで上げてもらった経緯もあった。でも結局、経済的に厳しくてその時は断念した。

 あの地震があって、そして福島の惨状を見聞きして、こんな事になるんだって事は分かっていたつもりだったけど実は分かってなかったんだと今、ようやく気がついた。
だってこんな事になると分かっていたら、たったひと山ふた山を越えた先にある原発を知らん顔して過ごすことなんて出来るはずないのだから。

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(美山の山の尾根からは舞鶴の海が見える 大飯原発はもっと近くにある!)

「原発を止めさせなければならない。」
この事は機を待つとか、周りの動きを見ながらとか、そんな悠長な考えではいけないことだと思う。確かにただただ反対を叫び、さまざまな窓口に言い争いに行くようなやり方では上手くいかないことは分かっている。先日大飯原発の再稼働を認めた政府のように反対運動なんて無視されるばかりだ。だけど、それぞれの立場で出来るちょっとでも「ましなこと」があるのなら、この原発ということに対しては遠慮したり、二の足を踏んでいてはいけないと思う。

 僕に何ができるかと考えた時、まず田歌舎が自然エネルギーを導入することだと考えた。クリーンエネルギーへの転換を人ごとにしない。お金が厳しいということをいつまでも理由にしていてはならない。多少無理してでもやらなければならない事だと心から思った。
まず自分が設置して、そしてみんなに呼び掛けよう。
「新車を買う金があれば先にソーラーを設置しよう!」
「新築する時は必ずソーラーを設置しよう!」

やっぱり経済力が無い人には強要出来ないことだと思う。
だけど新車を買える人や新築が出来る人はちょっと無理をしたらソーラーを買えるはずだ。
父「やっと家も自然エネルギーを導入できたよ。これで胸を張って生活できる。」
子「次はハイブリッドカーだな、父ちゃん!」
そんな風に自然エネルギーの導入が家族の誇りだったり、ステータスに感じたり、そんな価値観を作り出していけたらいいなと思う。逆に、自然エネルギーを導入もせずに高価な車に乗って自慢げにガソリンをまき散らすような奴は世論として軽蔑される。そんな価値観に変わっていかなければならないと思う。
 
 なんとか軌道に乗ってきたのかなというくらいの田歌舎。だけど昨年から新店舗を建設していて出費も多いので、今年無理をしたらスタッフたちへの給料の支払いが滞りそうな可能性も・・・。
「もう待てることではない。やらせてほしい。」
スタッフたちは理解してくれた。
もうあれから一年経った。このまま思っているだけでは終わらせられない。

 なぜ大飯原発が再稼働をしてしまうのか。それは政府の所為だとひとくくりにはできないと思う。きっと原発が自分たちの経済(安定した暮らし)に関わっている人、それぞれが決心できないからだと思う。

「働く人全員が原発は間違っていると思えて、職を失ってもいいと思ったら、誰も原発を動かす人はいなくなる。」

「地元の人皆が、原発マネーを放棄して地域の経済が一時苦しくなったって、子孫の為にも安全を守らなくてはならないと心から思えたら、住民の皆が勇気を持って反対出来たなら、原発の無い大飯町に戻れるはずだ。」

たしかに大飯町の多くの人にとっては、原発を動かせないとなると経済的に厳しい局面がいたるところで発生するのだろう。原発が廃止になってやってくる不況なんてドカンとなった福島の人たちの苦しみに比べてなんと小さなことだろうと考える人もきっといるだろうけど、でもきっと心の奥底からそう思えてないのだ。だから長いものに巻かれてしまう。
「止むを得ない」
と考えてしまう。

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(今関東地方のものは絶対に食べたくない。助け合うという気持ちで食べるというのは間違っている。関東の人たちには申し訳ないが、危険かもしれないものを、安易に受け入れるのはダメだ。政府の出す指針とかではなく人間の本能をもっと発揮しないと・・・。原発が怖い。セシウムが怖い。そのシンプルな気持ちを大切にしないと・・・。京都府の被災ゴミの受け入れも絶対に反対。)

美山町に住む僕にとっては、再稼働しようがしまいが経済的には関係ない。大飯町の人にとって私たちは外部の人だろう。だけど30キロ圏内に暮らしているのだ。ドカンといえばまず間違いなく田歌での暮らしは終焉を迎える。

どうやって大飯町の人の心を動かせるのだろう。もちろん大飯町だけでなくて日本中の原発に関わるすべての人の心を動かさなくてはならない。そのためには直接関係が無いように暮らせている私たちこそが何もしないままでは駄目で、経済的な負担を掛けてでもクリーンエネルギーに変換することが大切で、原発はなくすためには経済的負担も止む無し、という思いを態度で示さなくてはならない。

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(豊かな自然と暮らしが脅威の元にあるなんて絶対におかしい!人任せにしない。出来ることから始めよう!)

 自然豊かな美山町というPRを止めて、
「大飯原発30キロ圏内の町、美山町にようこそ!」
~美山町民は原発反対の意を示すために、自然エネルギーの町を目指します~
まずは美山町でこんな流れを生み出してみたい。

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「ジョウビタキとかルリビタキとか」 [田舎生活]

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(ルリビタキの写真を撮りたいな。と思ってたらスタッフが雪の上からその羽らしきものを拾ってきました。オオルリのような派手さは無いけど、やっぱり奇麗だ。)

 先日からたびたびジョウビタキが軒下や建物の中に入ってくるようになった。冬
鳥としてロシアか樺太か、北の国からわたって来る鳥だが、10月も過ぎたころに
「ひー、ひー」という鳴き声を聞いて、「ああ、今年もやって来たんだなー。」と
庭木や裏山に目をやるとすぐにその姿を見つけることが出来る。雪がない時にもそ
んな警戒心の薄い鳥ではあるが、雪が降るとますます人や建物に近づいてくる。と
いうか、天気が悪いと安易に人の側に避難してくる鳥だ。昨冬には部屋に侵入した
ジョウビタキを網で捕獲し、しばらく籠に拉致(観察)してから放してやったのに、
次の日にはまた侵入してくる、といったこともあった。オレンジ色と白の斑紋が目
立ち、僕が大阪(枚方)に住んでいたころにも近くの里山でよく見かけたくらい冬
にはどこにでも見ることのできる奇麗な鳥だ。

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(我が家のジョウビタキくんです。毎日家の中へ入っています)

 雪の林道や山道を狩猟やツアーなどで進んでいると、時折、抜きつ抜かれつ、い
つまでも行く先についてくる鳥がいる。良く見ると羽や尾がほんのり瑠璃色(ブル
ー)をしたルリビタキという鳥だ。1年中美山に住んでいる留鳥で、雪のない時に
も道際の藪の中などで活動をしているのは見かけるが、冬以外にはそんな行動はし
ていないと思う。冬は色々刺激が少ないから、人をおちょくって遊んでいるつもり
なのだろうか。ひょっとしたら日頃は鹿やシシの周りにもまとわりついて遊んでい
るのかもしれないな。まあなにより白い雪の中なので、かれらのささやかな青色が
より鮮明に見えるのが嬉しい。

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(窓から外を眺める彼。なんでやねん!)

 そして冬になると決まって獣の解体のおこぼれを求めて集まってくるのは野鳥で
はカケス。カラスの仲間とは思えない、きれいなチェック柄のブルーの羽をもつ鳥
でハトよりも少し大きいくらいの鳥だけど、やっぱりカラスと同じ雑食のようで、
解体前の野外に並ぶ獣の肉をついばみに人影を忍んでやってくる。軒下で熟成させ
ている枝肉(骨付きの足丸ごととかの肉)が知らぬ間に齧られていたりしたときは、
たいていこいつらか、獣のテンやイタチの仕業だ。
 ところでカケスのことを田歌や芦生の人は「カシドリ」と呼び、昔はよく食べた
なんて話を聞いているので、一度は食ってみなあかんなと思っている。美しい鳥を
撃つのは気が引けるけどね。

 おこぼれに集まる獣と言えば大抵田歌舎にはテンがご用達だったのだけど、この
冬はイタチが来ているようだ。数日前の夜には雪に埋まりそうな事務所の窓際に現
れ、かわいらしい姿を長時間みせてくれていた。つい先日、自家消費用に干してい
た塩づけのシシ肉が朝になると半分に減っていたが、きっとこいつの仕業だ。あん
まりやりすぎると退治するから気を付けてね。と、言っておいた。

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(セグロセキレイ。昆虫食ということだけど、冬場は鹿肉で代用か?)

 洗い場に流れ出るちょっとした破片をついばみにセキレイもやってきている。セ
キレイはヤギの餌が置いてある倉庫にも出入りしているところをみると、床に散ら
かった糠や屑米なども狙っているのかな。

 ちょっとわからないのがヒヨドリ。この方はまあ、年中家の近辺で木の実や果樹
にちょっかいを出しているのだけど、雪の上に付く赤い血にも反応をしているよう
で近頃良く解体場の近くに来ている。血を食べているのか、または美味しい木の実
と同じ赤い色につい反応してしまう癖なのか? まあ他の時期よりもうんと近くで
見れるので、良く見ているとヒヨドリもかわいく見えてくる。

 野鳥たちが身近になる。今回そんな冬の一面を紹介してみようと思った。

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(こちらはヒヨドリ。軽トラから物色中。どうやら雑食らしくやっぱり肉片をついばんでいる様だ。)

 おまけだけど、最近あったホンマの話。
狩猟に向かっている車の中でスタッフからの電話が鳴った。
ス「ヤマドリ(キジの仲間)が家の窓ガラスを割って飛び込んできたんです~~。
  どうしよう~~。」

ホ「そんなもんまずヤマドリ捕まえんかいや」
 「食ってもええし、売ってもガラス代になるやんけ!」

ス「え~~、家の中で暴れまわったから窓を開けて逃がしてしまいました。」

ホ「あほかいな。割ったガラスなんかすぐに片付くやんけ。ヤマドリ捕まえな損
  やんけ。」

ス「・・・・・すいません。」

 後で聞いたらヤマドリは大窓をぶち破ってきたにもかかわらず無傷の様子だっ
たとのこと。

 今から思えば、余裕で捕まえられていたのにもったいないことをしてしまった
とのこと。

ス「ああ、わたしは狩猟民族ちゃうねんな~と思いました」

だとさ。

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美山の冬 [田舎生活]

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(2006年の大雪の翌日。美山の冬ってこんなだったよな~~。)

 寒くなってきました。
僕が美山にやってきてなんとも17回目の冬を迎えようとしている。
すっかり美山の冬に慣れてはいるし、基本的に雪が好きではあるのだが、年の
せいか、お家の中をもっと温かくしたいという願望が年々より強くなってきますね。
田歌舎の宿泊棟はかっこいい薪ストーブでホールもロフトもとても温かくなり、実
のところうらやましい。家庭用にも家中温かい薪ストーブを設置したいです。

 ところで今年は12月にはいってもまだ雪が見られない。山も白くなった日もまだ
なく、まったく雪の気配がしてこない。今年も去年に続いて寝雪にならないのでは、
と心配になってくる。かつてには考えられなかった天候だ。17年前、僕が美山に
来て初めての冬はとくに厳しい冬で、大阪出身の僕にとって同じ関西の冬としては
想像を絶し、衝撃を受けたことを今も忘れることはできない。クリスマス寒波ととも
に一気に1M以上の雪が積もり、大寒のころには1日中気温はマイナスのままの
日が続き、夜にはマイナス10度を下回る日が何日もあった。道路掲示の温度計
のマイナス14度の文字は衝撃だった。そして頻繁に雪は降り続き、道路の両脇
はいたるところで2M近い雪の壁となり、路面もスケートリンクのようにアスファルト
が見えないような日が何日も続いた。今から思えばあんな厳しい冬はあれ以来
体験していない。

 美山の初冬。

 11月。10月の秋晴れの気候も続かなくなり北山時雨などとも呼ばれる日本海側
特有の天気模様に変化してくる。快晴の日はあまり無く、1日の中で降ったり晴れ
たりすることが何度も繰り返されるような日が月に半分くらい、そして雨模様の日も
多く、次第にみぞれが混じるようになり、山の上が雪で白くなるような日が何回か
やってくる。

 12月。初旬には決まって里にも雪が降りてくる。5センチ程度の年もあればいき
なり30センチほども積もったこともある。そして冷たい時雨に雪が混じる寒くて暗い
12月もクリスマスの頃にはまとまった雪が降り、お正月に帰省するときには決まっ
て車の上にどっさりと積もった雪を乗せたまま、京都市内を自慢げ?に走り抜けた
ものだ。

 そんなかつてとおおよそ変わらない天気の移り変わりが来てから5年程度は続き、
春も夏も、そして寒くて暗い初冬も、美山の気候が体にすっかり定着してきた10年
ほど前から、次第に色んな形で天気の移り変わりが崩れてきた。初冬のころの時雨
模様、雨から雪に変わるようなパターンは不明瞭になり、まったく雪の気配がないほ
ど気温は高い日が続いたと思えば、突然の大雪が舞い降りたりする。12月初旬の
大雪でそのまま背丈ほどの積雪となった5年前のような冬、里ではまったく寝雪に
ならなかった昨冬。総じて雪は少なく、温度は高くなっているだけでなく、その移り変
わりは全く予測のつかないものになって来ている。

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(約100キロ特上イノシシ捕獲・解体中。田畑の被害額を取り戻しました!!)

 実は冒頭の文章を書いた後、9日から10日にかけて初雪が里を舞い、山には5
センチ程度の雪が降った。今週は雪の予報も出ている。次第に冬は近づいているが
最近吹くことの多い春先に多いフェーン現象のような生ぬるい大風は、この冬にい
ったい何をもたらすのだろうか。

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(どうですかこの旨そうな肉塊。田舎暮らしが最高~~!な瞬間です。)

 予測のつかない冬が美山でまた始まろうとしてる。暗い12月が終わり、寝雪ととも
に新年を迎え、雪かき、薪割りから1日は始まり、薪ストーブの暖のもと、他の季節に
は少ない落ち着いた時間過ごす時、そして晴れた日にはまぶしい雪景色に身を包み、
狩猟と解体を中心に過ごす田歌舎のあたりまえとなってきた冬の営みがいつまでも
続くことを願って止みません。


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「異変かな~?」 [狩猟・動物]

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(夏野菜の屈辱をバネに秋野菜はがんばってます!)

 地球温暖化。暑い。このことは日本中誰でも肌で感じていること。
田舎で生活していると明らかに温暖化に伴って変化、悪化していることが暮らしや
自然の中で多く感じられるのはもちろんだけど、予期せぬ形で現れる今年の変化の
数々は温暖化のせいなのか、あるいは自然のサイクルの中の変化なのか、いろいろ
驚かされるばかりだ。

 畑。
 梅雨が明けるまでの雨と風と低温で田歌舎の夏野菜は農業人生最大の不作になっ
てしまった。田歌は毎年、春先から初夏にかけてに数回、台風並の強風が吹き荒れ
ることがあるのだけど、今年の奴は特にひどかった。
 トマトやなすびなどの夏野菜の定植を完了し、玉葱が結球しだし、ジャガイモが
2本立ちに整えられ土寄せを終えたちょうどその頃に吹いた一撃は、夏野菜を壊滅
させ、玉葱の根を引きちぎり、ほとんどのジャガイモの芽を吹き飛ばしてしまった。
そしてその風は畑にとどまらず、田歌の集落のある家の片屋根(7M×2.5M)を構
造材(垂木や屋根板など)ごと20Mほど吹き飛ばしてしまった。上からのぞけば
屋根の下の部屋が丸出しになったおもちゃのお家みたいな状態だ。そして、僕が7年
ほど前に建てた近所の木工屋(A-WORKS)の作業場の屋根トタンがすべて吹
き飛ばされてしまった。
 自分で立てた建物が災害にやられたことは初めてのことで、非常に悔しい思いが
した。
 その風が去った後も雨と低温が続き壊滅状態の夏野菜を回復させることは難しく、
やっと野菜が食卓に溢れてきたのは8月も盆を過ぎた頃からだ。

 そして、雨と風だけでない他の敵もこの春より突如として猛威を振るいだした。

 もぐら。
 以前から共存してきた彼らではあるが、今年は以上に数を増やし、すべての畝を
縦横無尽に掘りつくし、野菜の根を痛めつけいく。種をまいて発芽をしても、もぐ
らの新設したトンネルの地上部は一筋になって枯れていく。それが日ごとに何筋も
やられるのだからたまらない。せっかくきれいに育ち始めたお野菜が日を追ってモ
ザイク模様になっていくのだ。

 「なんでモグラがこんなに増えたんだ??」

 思い当たることが一点。以前から畝たてをする都度に畝を掘り起こす小動物がい
て、駆除してやろうと春先に檻を設置したところ、1匹のテンを捕らえることがで
きた。思い返せばこやつを処分した後から急激にモグラが増えたように思う。
実はあのテンは畑で活躍していたのだ。

 夏野菜の不作の悔しさから秋に向けての野菜つくりにはひと際力を注いでいるの
だけど、今も引き続きもぐらの被害に手をこまねいている。
肉でも捧げて畑にテンを呼び戻さなくては・・・。

 そして原田くんが手掛ける自然農法園では別な動物も猛威を振るっている。
鹿・イノシシの進入は防げているはずなのに、大豆は全滅し、人参も消えてゆく。
いったい何の仕業かと悩んでいたらある日1匹のウサギさんが畑を囲むネットとト
タンの間に挟まっていたそうだ。意気揚々とウサギを手に台所へと進む原田君だっ
たが、ウサギはどうも一匹ではないようだ。こちらの被害もなかなか収まらない。

 田歌舎の農園にはそんな小動物たちの変化だが、地域全体で見ればアライグマと
アナグマの被害が激増している。その駆除を地域より依頼され、この春からいった
い何匹の小動物を殺したことか・・・・。

 余談というか大切な営みというべきか、ただ殺すのは申し訳ないと、途中から切
り替えて、ありがたく食べてやることにしたところ、アライグマは絶品だった・・
・。


 さてさて、そうなるとこれは一匹だけの問題ではなくて捕食動物のキツネやテン
が森全体から減少しているのではないだろうか。という考えが頭に浮かんでくる。

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(サルに食い散らかされ、踏み倒された田んぼ。アイガモ農法で無農薬で上手くいってたのに・・・・・。)

 そして次はサルの仕業。
これも今年は凄まじい。田歌舎では毎年の恒例のごとし、春先のシイタケを数十枚
持っていかれたが、田歌集落ではほとんどの菜園で夏に入ってから毎日のようにサ
ルの襲撃を受け、ことごとく夏野菜がもぎ取られていく。サルは人を良く見ている
ので若者の多い田歌舎の畑には寄ってこないが、おじいさん、おばあさんの菜園は
軒並み全滅だ。野菜を口いっぱいにくわえ、さらには小脇にお土産を抱えて山へと
戻る姿の可笑しいやら、腹立たしいやら・・・・・・。

 そして秋が近づき更なる被害が発生する。
なんと米を食いだしたのだ。
かつてから稀にはあったそうだが、今年は群れになって毎日のように何処かの田ん
ぼで稲を食い散らかしている。地域より駆除を切望されて、二群れから1頭ずつ仕
留めることに成功したが、以前ならこれでしばらく寄り付かないはずだったのに、
今年に限ってその効果は薄く、間もなく群れになって田んぼに戻ってきてしまった。

そしてある日、いよいよ田歌舎の田んぼにも群れが侵入し0.1aほどの面積を見る
も無残に食い散らかされてしまった。

「いよいようちもサルに仕返しされたわ~~あ、はっはっは」

なんて集落の人たちと笑い話にしてみるものの、被害を見たときの腹の立ちようと
いえば、言葉に言い表せられるものではない。

「今度来てみろ。ブチ殺してやる~~~」

と鉄砲を手に出来る我々はまだいいほうで、ほとんどの人たちはまったくお手上げ、
泣き寝入りである。

 でも、これもまたサルの異変ということではなくて、サルが暮らす森の異変だと
考えるべきだろう。

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(がんばってくれたアイガモたち。と、被害を受けていない美しい田んぼ)

 近年鹿が減った美山の森に次にはイノシシが急増を始めた。
イノシシは元来の米好きだ。収穫を間近にしてイノシシの被害が出てくることはも
う間違いない。しっかりと草を刈り電柵の威力を整備しておかなくてはならない。

 そうしてつい先日、朝早くから犬が大騒ぎをしていた。
「サルか!小物か~~?」など思いながらな眠たい目をこすりながら犬を放してや
ると、間もなく家の周囲でハクビシン(外来種・害獣)の子ども2匹を連続して捕
らえた。「こいつらか~~」などとと思っていたら次にはキツネがふらふらと近く
を通りがかるので、「なんやねん一体?!」と思いつつもそのキツネも捕らえさせ
た。

 案の定、その小物3匹とも疥癬という皮膚病で、すっかり痩せ細り、見るも無残
な状態だった。そうでもなかったら明るい時間にそんな間抜けに家の側でふらふら
しているはずのない動物達だ。疥癬は皮膚の中で繁殖する目に見えないダニが引き
起こす皮膚病で、なかなか自然治癒することのない厄介な病気だ。野生動物は治療
が出来ないので疥癬によって命を落とすものも多いのだが、犬にうつっても面倒な
ことになるので、仕留めた小物どもの始末を済ますとすぐに木酢液で犬の体を洗浄
してやった。
 そんなこんなしていたら次にはサル出没の連絡が・・・・・。

「ほまるさん!下條の田んぼにサルがきてます!!お願いします!!」

 美山の森ならいいのだが、里が動物園と化してきた。

 もう、何が異変か自然なのか訳が解んなくなってきた。
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「イノシシが帰ってきた」 [狩猟・動物]

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(知井猟友会の初シシ君。でもこいつを獲ったとき、僕は隣の山で別のシシ追いをしていたので、自分で獲った達成感は味わえず・・・・。約80キロ:20貫目 口を広げると「おことぬし」みたいやな。)

 田歌舎=鹿。そんなイメージが定着しているような気がするけど、猟=鹿。とい
う訳では決して無いのです・・・。

 僕が狩猟をはじめたのは10数年前。飼っている犬があるときイノシシを捕らえ
てしまったことがきっかけとなり僕の猟師人生がスタートしたのだが、その頃美山
の森は鹿の劇的な増加が進行中であり、その後、数年後に狩猟免許を取得し、さら
に鉄砲を所持するまでには、犬は次から次へとイノシシではなく鹿を捕らえていっ
た。今から思えば当時は溢れんばかりに鹿がいた。冬、一人でスキーを履いて犬と
ともに森へ入ると次々と鹿に遭遇した。そして犬は鹿を追い、上手く追い詰めた時
にはナイフ一本で自ら留めを刺しに入ったものだ。
 当時、それだけ鹿がいることが普通のことなのかと思っていたが、まあ、結局の
ところ異常だったわけだ。ただその当時はイノシシもちゃんとそれなりにいて、や
はり時には森の中でご対面する小ぶりな奴を犬と共にやっつけては、ありがたくご
馳走になる事もあった。

s-s-IMGP2336.jpg
(真ん中が俺。いやいや、えらいおっさんになってきてしもた)

 そうしてようやく7年前に鉄砲を所持し猟友会のメンバーの中で本物の猟師とし
て第一歩を歩みだした頃、当時はまだイノシシも獲れていたので、売れない鹿がと
っても粗末に扱われていた。そんな中でペーペー(新米猟師)の僕にはほとんど配
当金がもらえるわけではなかったので、無駄にしている鹿を何とかお金にしてやろ
うと思ってあの手この手、そうして今(田歌舎=鹿?)に至った訳だが・・・。

 だけど、イノシシはやっぱりすごい。
何がすごいって、体全部が見事に美味しいのだ。

 足から首まで全て美味しい。
鹿の場合はいろいろな工夫があってこそ全ての肉を美味しく食すことが出来るのだ
けど、イノシシの場合、塩・コショウさえあれば全ての肉が美味しく食べられてし
まう。実際大きなイノシシを解体していると、見事に全身に脂が乗り、美味そうな
肉の塊と化していくその姿を見て、なんとも可愛そうな、いやいや、ありがたい生
き物だと思ってしまう。

 そんな訳だから全部の肉がそこそこの値段で売れるので、やっぱり鹿1頭と比
べれば、時には10倍近い値段の差ができてしまう。

 だから僕もたまにはイノシシが獲りたい。そう思っているのだ。

 なのにそのイノシシが3年前に僕らの猟場から姿を消してしまった。
捕獲0、目撃1。
猟師たちが獲りすぎたのだろうか?
いや、鹿の増えすぎによって安住の地を奪われた彼らは鹿の少ない地域へと移動し
たようだ。

「本当にそうなの?」
自問自答しなくもない。

今年その答えが返ってきた。
一時のピークが去り、美山町では5年前くらいから鹿が明らかな減少傾向だ。実感
では現在は一頃の3分の1以下にはなっているように思う。そして、その代わりに
京北や園部などの周辺の地域や京都市内近郊では鹿の目撃や被害が急増しているよ
うだ。
 美山の増えすぎた鹿は自分たちの食料となる草木を食いつくし、毒草を食べる個
体すら出てきた。イノシシを追い出した後にはいよいよ自分たちも限界となって基
本的に行動範囲の狭い定住型の動物のはずの鹿も草木が生い茂る食料が豊かな周辺
地域の山々へと移動をしたということだ。

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(田歌舎のかわいい猟犬たち。それぞれ一長一短ですわ。)
 
 鹿が少なくなってきた美山の森では昨秋どんぐりが豊作だった。

 一足先に出て行き見つけた安住の地にまた鹿が増えてきて嫌になったということ
なのだろうか。秋ごろより美山中で劇的にイノシシの痕跡が目に留まるようになっ
た。イノシシは元来広範囲の移動型の動物だ。ちゃんと自然の条件がそろえば帰っ
てくるのだ。

 今年の美山は雪が少なく、シシ追い(足跡をたどり、シシの寝床を襲撃、追い出
しをする猟)をしても雪の少ない斜面で足跡を見失ってしまったりで、なかなか獲
らせてくれないイノシシ君。

「ぼちぼち獲らせてくれよ」
そんな風に思い、わくわく、どきどきしながら森へ入る。まあ、結果獲れても獲れ
なくても、(もちろんたまには獲りたいのだけど)そんな風に鹿やイノシシとこれ
からも末永く関わっていたいものだ。

壊れていく自然のバランスのなかでも鹿やイノシシはたくましく対応しながら生き
ている。なかなか修復が難しい自然の変化で絶えてしまう恐れのある動物が多い中、
たくましさ、生命力を感じられる彼らが日本の森にいてくれることは本当に嬉しい
ことだ。

ようやく年末年始に少しまとまった雪が降った。
さあ明日はシシ追いだ。
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 「生き物が好き」 [雑感・日常]

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(ノゴマという野鳥。スタッフの家に迷い込んできたところを捕獲。もちろんすぐに逃がしました。)

 近頃本当に多忙だ。田歌舎のいろんな取り組みが、他の団体や、行政や、地域の
人々や、いろんな人やネットワークに繋がってきて、そんな中で生み出される色々
なすばらしい活動には、予想以上に膨大な事務やミーティングが生まれてくる。た
った今はそんな新しい広がりが楽しくて、都会への出張やパソコンを前にする仕事
にも、自分でも意外なほど楽しさを感じながら立ち向かってもいる。
 いろんな取り組みや計画が頭の中に溢れていて、田歌舎の労働がおざなりになり
そうな中だけど、4年目を迎えるスタッフたちは各部門のリーダーとなって田歌舎
のいろんな営みを、あたらしい研修生たちとも協力しながら着実に進めてくれてい
る。アイガモ農法、山菜園、しいたけ栽培、自然農法などさらに規模が大きくなっ
た田畑。今年から始める新しい取り組みも含めて全て順調に進んでいる。そして団
体参加が増えてきた田歌舎のアウトドア体験や宿泊、ますます活発になってきた自
然学校の活動などにも、それぞれが責任をもって多くの参加者にむけて素敵な時間
を作ってくれている。

 そんな多忙な田歌舎のなかで、あまりにも多くのことを考え、対応しなくてはな
らない立場になってしまい、正直イライラしたり焦ったりすることも多い日々にも
なったけど、ちょっと息詰まるときに僕がかつてと変わらず求めているのは生き物
との触れ合いだな。と、近頃改めて思ったので文章にしてみようと思う。

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(今年からはじめたアイガモ農法のカモたち。かわいいが秋には食卓へ。)

 春先は猟犬たちの前を通るたびに日課のように首のまわりのダニ獲りをしていた。
たった今は毛換えの時期だから、1日に何回も犬の毛をむしりに行く。そしてちょ
っと小休止の時には来たばかりのアイガモの様子が見たくなり、日々成長し、生意
気に泳いでいる姿に心癒される。庭の用水槽には子どもと釣った魚が数匹泳いでい
て、たまに覗き見をして変わらず元気な様子を見るとなんとなく嬉しい気持ちがす
る。そしてツバメ御殿と化した田歌舎には数十羽のツバメたちが軒下を行き交うが、
糞のことが気になる以上に、彼らの営みが垣間見えることが楽しい。

 田んぼに泳ぐオシドリのツガイ。時々ピックイーと鳴きながら頭上を旋回するサ
シバ(鷹の仲間)。さくらんぼを狙うヒヨドリとの戦い。鹿肉を狙うテンの捕獲。
近所の人からは罠に掛かったアナグマの始末をお願いされてみたり。
 
 住民から要請を受けて行くサルの駆除。ゆとりのある朝や夕方にする鹿やイノシ
シの狩猟。トレッキング中に見かけるヤマメ。倉庫を行き交うチュー吉(ねずみ)。
スタッフの家に迷い込んで捕獲したノゴマという名のきれいな野鳥。

 あ、蛇も何故だか妙に好き。見つけたら捕まえなくては気が済まない。シマヘビ、
アオダイショウ、ヤマカガシ、そしてガイド中にはマムシを捕獲。いつもは手に取
るだけで幸せで、すぐに逃がしてやるのだけど、この時のマムシは後日、みんなで
食いました。(スタッフに初体験させてやろうと思ってね)

 他には、トレッキング中に出合ったリスが目の前で木から木へジャンプ。久々に
出合った川ネズミは渓流の浅瀬を、すぐ足元を、慌ててほにょほにょと体をねじら
せながら潜水。様々な夏鳥たちの到来と目撃。

 あ~~~。最近だけでも色々あるものだな。

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(ヤギのメメオ♂。田んぼの周辺の雑草を食べてもらおうと飼い始めました。やっぱり乳がほしいので来年は♀も飼います)

 駆除したり、捕獲して食ってしまうことは今回は置いといて・・・、
いまだに夜道で鹿に遭遇するだけでも嬉しい気持ちになり、どんな生き物でも見る
だけでも嬉しい。珍しい野鳥を見かけると車の速度は落ちて余所見をする。歩いて
いる時は足は止まる。触れるのも嬉しい。ヒキガエルも見つけたときは必ず手にと
ってしまう。ねずみですら流石に放置は出来ないので、先日駆除をしたけれど、事
務室の脇をシャカシャカッ、チョコチョコッ、と走る姿は愛らしく感じてしまう。

 今書いたこと全部、この4月と5月のこと。
そして忙しい最中でも、アカショウビンの到来が遅く、田歌舎ではまだ鳴き声が聞
こえて来ないことが日々気にかかる。

 他にももっといろんな出会いがあったけど書ききれない。

 いつでもそんな生き物たちの出会いを知らぬ間に探している。
 いまだに僕の頭の中は生き物のことでいっぱいだ。
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 「雪が無いと獲れない猟師」 [狩猟・動物]

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(からやまの狩猟。鹿に遇うまで歩き続ける)
 美山町は由良川に沿って東西に40キロ以上と広く、集落の標高差は200m以上
もある。そんなことで、田歌のある知井地区は大雪地帯として有名だけど、下流の
地区ではほとんど根雪にもならない。
だから同じ美山でも雪の少ない地区の猟師さんから
「知井の猟師は雪がないと獲物(もの)が獲れんでな~~。」
と僕らの地区の猟師たちのことを揶揄されることもあるのだが・・・。

 確かに知井地区では雪があることを前提にした狩猟方法が根付いていて、だから
こそいまだに犬に無線も付けず、犬の鳴き声を聞き、山を縦走する勢子の指示と、
地形を知り尽くし獲物の動きを読む下待ちの勘だけで、獲物を待ち伏せする。
そんな昔ながらのかっこいい?狩猟が成り立ってきた。

 勢子が2名ほど、下待ちが4名ほどいたら勝負が出来る。
山の中を犬と勢子が掻き回し、山全体を下待ちが取り囲み、谷川へ逃げ降りてきた
ところを撃つ。あるいは山の中を走る鹿を僕ら勢子が撃つ。

 だけど知井地区の狩猟者も例に漏れず、つぎつぎと年配の方が引退をし、今では
8名になってしまった。そうして、それぞれに本職もあるので、日に集まる猟師が
3人程度のこともたびたびで、僕らは山に登っても、下待ちの数が足らず、獲物を
取り逃がしてしまうことも多い。
正直なところ、雪がないとさらに条件は厳しくなり、獣の逃走範囲はとても広く、
読みを利かせても、なかなか的中させるのは難しい。

 それでも2月15日までの猟期中は何とか70頭以上の鹿を捕ることができた。 だ
けど2月以降まったくと言うほど雪が降らず、有害鳥獣駆除がスタートした3月の
狩猟は空山(からやま:雪の無い山・猟師言葉)で、獲れない日が続いた。
仕事として成立しないということで、つい先日、知井猟友会としてのグループでの
冬期の狩猟は終了した。

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(お母んのテコと仔犬たち。サンとテッペイは立派に猟犬に育ちました。もう1匹はペット犬?)

 それでは雪の無いところの猟師さんはどうやって獲るのか。

 やっぱり檻やくくり罠といった罠猟が盛んだ。罠猟は動物をいかに騙すかが勝負
なのだが、罠の達人と話していると、獣の習性を知り、行動を読み、手間隙をかけ
て丁寧に仕掛ける事が大切なことはもちろん、踏み跡が多い場所でも「ここならば
間違いない」という適所が見つからない時などは、倒木や、落ち葉を動かして、獣
が歩きたいような道を作って、そこに罠を仕掛けるという。
これは本当に根気の要る仕事で、僕らのようなせっかちな人間にはなかなか真似で
きないな~と思う。少しでも丁寧さに欠けているとたちまち見破られて、罠にはか
からないのだから。

 僕自身も罠の免許も持っているし、くくり罠も作って持っていて、何度かは使用
していくつかの鹿やシシを獲った事もあるのだけど、とにかく仕掛ける作業が面倒
くさくて、つい手抜きをすると、当然獲れず。性に合わず今ではほとんど手をつけ
ていない・・。

 銃による狩猟の場合には、全ての犬に無線の受信機をつけて、ぴーぴーという信
号の強弱でおおよその方向と距離を掴み、車で猟場を移動しながら、獣が里に下り
たところを撃つというスタイル。あるいは自分自身も山に入りながら、犬を入れ、
良く通る獣道に待ち構えて撃つ。
もちろんそれでも山(地形)を知り、獣の動きを予測する勘を磨かないと簡単では
無い。

 いま美山町には若手が育ちつつある僕らの知井班のほかに、40代の専業猟師数
名が中心となって構成する凄腕の狩猟チームがある。
彼らは雪の無い山の猟師さん。
全員が山に上がり、下待ちはいない。
あるときは人間だけで、ばらばらに山に上がり、獲物の寝屋(ねや:寝床のこと)
を取り囲み、忍び足で山の斜面を進み、獲物が見つかれば100m以上の距離でも
スコープで狙い撃つ。またあるときは良く鳴く犬を山へ入れて、獣をかき乱し、逃
走ルートになる広い斜面を予測して、里に逃げ落ちる前にはるか遠くからやはりス
コープで狙い撃つ。そんなことが出来る彼らは一年中狩猟で生計を立てている。
銃の腕は卓越していて、やはり山を歩く足取りは速く、山を、そして獲物(もの)
を知り尽くしている。

 つい先日、年に1回の美山町猟友会全体で協猟という機会があった。彼らのメン
バー4名と僕+数名が山に上がって勢子をし、年配の猟師さんは20名近く下待ち
で猟場を囲むという協猟ならではの壮大?な狩猟だったが、そのときの彼らとのや
り取りの中で、改めて凄さを感じた。

 正直なところ彼ら、特にリーダー格の2人にはまだまだ敵わないなと思う。雪が
ないと獲れない猟師からもう一皮も二皮も剥けるためには彼らがほんとうにありが
たいお手本であり先輩だと思う。

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(それでも解体は続く。)

 実は最近、最新のGPS付きの犬用の受信機を予約した。犬の場所が地図上でピ
ンポイントに分かる優れものだ。昔ながらの狩猟はもちろん自分の中で一生残る、
大切な経験であり、知恵でもある。
だけど今、知井地区には猟師は減り、雪も減った。さまざまな変貌に負けず、猟師
として食らいついていくためには、最新機器も、新しい狩猟方法も、そして飽くな
き追求心も必要だ。

 そして今年、新たに僕らの知井班に若い猟師2名が誕生しそうだ。 



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「自然は誰のもの?」 [雑感・日常]

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(12月30日に2頭獲れました。年末ジャンボイノシシ 17貫(写真:生体約70キロ)と15貫)

 年末からお正月にかけて宴会続き。
いっちょ前にも中年になってきたせいで、何かしら宴会の席が多く、海の幸、山の
幸、とにかくご馳走の連続だったが、何が美味いんだか不味いんだかあまりにも続
くと訳が解らなくなってくる。正月も終わりようやく日常に戻って食べた、普通の
朝ごはんがほっとして格別に美味しかった。
 この時期の一番美味しい家庭の味はニシン漬け。丸大根と身欠きニシンをたくさ
んの麹で漬ける漬け物で、何よりのご馳走だ。ご馳走は質素なメニューに「+一品」
くらいがちょうどいいなと、そう思う。

 さてさて、昨年は「自然は誰のもの?」「正しいルールは?」というようなこと
をいろんな場面で問われたり、考えさせられることが多くあった。だから自分なり
の考えを今回は書いてみることにした。
ちょっと他人に批判的なことも書かなくてはならないのが気に入らないが・・・。


 私たち田歌舎スタッフは、たった今は毎日のように狩猟に出かけ、鹿やイノシシ
などを当たり前のように森から頂いている。春には、自分の土地以外からも山菜を
採り、夏ごろには川から魚を捕り、秋には木の実やキノコを頂いている。そうやっ
て森から恵みをずっと頂きたいから、周辺の森の状況や変化を知ろうと努力もする
し、出来るだけバランスを崩さないように、そして決して絶やさないように、傲慢
にならないように考えながら採取をしている。そして家の周辺では自分の土地も、
借りてる土地も、そして自分の土地に隣接する川原であっても五目拾い(掃除)や
雑草を引きながら山菜が育ちやすいように環境作りをすることで、出来るだけ他所
を荒らさず、自分の「飯場」だけでおおよその山菜を間に合わせるように努力をし
ている。

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(31日大晦日に朝から皮むきの大仕事。二人がかりで夕方5時過ぎまでかかった。)

 大変な草刈りの作業をしながらも、蕗の多いところは刈り残して守っているから
春には去年より少し多い目にふきのとうが顔を出すと嬉しくて、半分ほど採って後
は誰かに採られないことを祈っている。自生するミョウガだけど、それ以外の雑草
をスタッフたちと一生懸命草引きをし、大きな石などを取り除いて、やっとミョウ
ガ畑のようにきれいに生えそろう様になったから、他所を荒らしに行かなくても良
いなと喜んでいた。同じようにミツバやセリやウワバミソウなども育ちやすいよう
に手入れをしたところからたくさん生えてくるとむっちゃ嬉しくて、だけど、それ
と同時に誰かに採取されないか心配しなくてはならない。

 だから他所から来た人が我が家の近くで勝手に田んぼの畦を歩いているだけで気
になるし、川原であってもビニール袋を片手にうろうろしているだけでうっとおし
いと思う。

 他所からやってくる多くの人は、勝手に育つ森の恵みは自分たちも自由に享受で
きるものであるべきだと考える人が多い。そして森の中や川原はもちろん、田んぼ
の畦さえも出入りするのは自由だろうと考えている人もいるし、またそうあってほ
しいと考えている人は多いのではないだろうか。

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(とても脂が乗ってました。この後全身の骨を抜いて肉だけにして地元の旅館へ卸してようやく今年の業務終了!)


 田歌舎ではツアーなどを通して森の恵みを少しだけ採取をし、ランチのスープな
どに入れて試食をしてもらうことで、その喜びや美味しさに触れてもらうことを得
意にしている。そして多くの森の恵みが環境の悪化の中で安泰で無いことは必ず伝
え、自分が守っている節度についても話すようにしている。

 自然を守ることを実践する人になるためには、本気で守りたいと思う心が生まれ
なくてはならない。本気で、そして正しくそう思うためには紙や言葉の理屈だけで
はなく、採れた!美味しい!もっと食べたい!というような実体験が必要なのは言
うまでもない。

 若い世代の人たちは採取の喜びを知ってもあまり乱獲をしない。きっと漠然とで
はあるが幼少の頃より自然は守らなくてはならないという考えが浸透しているから
だろう。そして幼少より貧して育っていないので「むさぼり採る」ような貪欲さを
持合わせていなのだろう。
 だから、田歌舎では若い世代の人に採取する喜びをこれからも伝えて行こうと思
うし、その結果、新しい乱獲者ではなくて、森の恵みがある環境を心から守りたい
と思ってくれる人を増やしていけると思っている。

 都会からやってくる中高年の方々へ言いたい。
あなたたちはもう十分に森の恵みを享受してきたではないか。
そしてもう十二分に自然を痛めつけてきたではないか。
しかも育てることを忘れ去って・・・・。
 だから残り少ない森の恵みを次の世代へ繋いでいくために、これ以上乱獲をする
のは遠慮いただきたい。自然は皆の物だと言うのなら、次の世代から自然を奪い、
私たちくらいなら大丈夫と思って森の恵みをビニール袋一杯に「むさぼり採る」こ
とは絶対に間違っている。

 「あなたたちが思う以上に森も里も枯渇している。」 
 
 「あなたたちがむさぼり採る姿はもう見たくない。」

 喜びを知って、だからこそ森のことをもっと知って、その上で守りたい人たちが
増えたら。そんな仲間たちと共に今の日本の自然に適したルールというか「正しい
付き合い方」を提唱して、世の中へどんどん発信していけたらいいんじゃないかな。
 
 そんな風に思った。
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「山にもエビフライ」 [田舎生活]

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(白っぽいものが今朝食べたのだろうフレッシュエビフライ)

 田歌舎の作業小屋の側のアスファルトの上に、このところ毎日のようにエビフラ
イが落ちている。エビフライ?? それはリスが食べた後の松ぼっくりの芯だけに
なった物のことをガイド用語?で言うのだけど、上手く言うな~というより、その
まんまやんけ、というくらいまさにエビフライなのである。まだ食べられていない
松ぼっくりを手に取って種の部分を毟り取れば、エビフライが出来るはずなのだけ
ど、実際にはとても硬くて手はおろか、ナイフを使っても大変で、何枚か毟り取っ
ているうちにいやになって断念してしまいます。やはりリスの歯とあごは相当強力
なんだな~とやってみればよく分かります。身近な自然体験ですね。

 先日そんなエビフライを20個ほど拾い集めてみると、その中には今朝食べまし
たという感じの初々しいものも数個あった。それからちょこちょこと子ども達も面
白がってフレッシュなものを見つけては拾ってきているのだけど、実のところリス
自体は誰も見ていないのが面白いところだ。

 道際の斜面にある松ぼっくりを拾い、それをわざわざ道際に運んできて、アスフ
ァルトの上で食べているのが面白い。きっと人気の無い早朝にやってきて、食べて
いるのだろうと思われるが、本来リスは見晴らしのいいところに食べ物を運んでか
ら食べる習性があり、山中ではよく切り株の上に食べた残骸のクルミの殻や栗のイ
ガを見つけることが出来るのだけど、裏山のリス君にはアスファルトの上が一番手
っ取り早く見通しも利いて安心してめしが食えるというところなのだろうか。
ここ数年決まって同じ頃、アスファルトにエビフライを置いていっているところを
見ると、同じ奴か、またはその家族か、どちらにせよ田歌舎の敷地に共存する同じ
屋根の下の住民のようだが、一向に姿を見せてくれないシャイな奴だ。

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(今朝もあった!手の背後には食べ散らかした種子の破片が見えるでしょうか?)

 そんな同じ釜の飯を食う?住民たち。1年に数回しか使わないシーカヤックの中
には沢山の落ち葉とともに鹿の骨が入っていたのだが、それはテンの仕業。夜に作
業場の電気をつけると「あら、こんばんわ」みたいな事が時々。まあ見た目はかわ
いらしいしそんなに悪さもしないので、まあ共存して良しとしよう。

 長~~いこと倉庫にしまってあった大きなオーディオのスピーカーの木部をかじ
り、落ち葉や断熱材などを持ち込んで寝床を作っていやがるのはクマネズミ。ドブ
ネズミ並みにでかい奴もいて、うちの倉庫ではジャガイモや米を主食にしており、
まったく共存したくない敵だ。まさに同じ屋根の下で同じ釜の飯を食っていやがる
が、米を収穫してストックするこれからがまた要注意だ。こいつらは仕掛けや毒エ
サで仕留めなくてはならない。せめて糞尿は外でしてくれるんやったら多少分けた
ってええねんけど。こいつらは汚いから嫌だ。

 他には菊頭コウモリという珍客が倉庫に迷い込んで、数日住み着いていたことが
あったり、ああ、薪を積んでいる周辺にはアオダイショウやヤマカガシが沢山いる
な~。カエルだけじゃなく頑張ってネズミも捕まえてね。

 ほかには野鳥たちも時折迷い込んでくる。ジョウビタキは警戒心が薄いのか、冬
になって飛来してくるとたびたび倉庫に飛び込んでくるし、すぐに捕まえられる。
そうして逃がしてやったのにまた入ってきたり・・・。かわいい。

 そういえば一番の身近な付き合いの同じ屋根の下の住民を忘れていた。そう、幸
運を運ぶらしいツバメだ。おかげさまで比較的幸運に恵まれたここ何年ではあるが、
我が家で育ったツバメは年々増えているようで、今年は元からある巣に加えて、3
つ4つ新たに巣を作って・・・・。おそらく我が家から今年は20羽以上のツバメ
が巣立っていっただろう。かわいくもあるが、幸運を運んでくれているのかもしれ
ないが、さすがにこれ以上は勘弁願いたい感じだ。新築の宿泊棟もすでにしっかり
と営巣されており、テラス部分の屋根はどうも奴らには最適地っぽい感じ。来春ま
でには対策を考えておかないと猫屋敷ならぬツバメ御殿になりそうだ。

 まあ、忙しい夏が過ぎるとこんな隣人について書いてみるような気分になる。

 美山の今はとってもいい季節だ。
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